2015年東北の旅 紅葉と「あまちゃん」と傷跡と……

ほぼ毎年恒例となっている東北旅行に行ってきました。今年の走行距離は約1600Km。年間走行距離の1/3を3日で走った計算になります。




スタートして最初の休憩。カーナビが壊れました。別に常磐道を走ったことによる放射能の影響みたいな話ではなくて織り込み済みのトラブルです。カーナビが壊れたというよりカーナビのリモコンが壊れたのが悔しいのですがずっと前から壊れていてだましだまし使ってます。さすがにこれでおしまいかなと思っています。たしか17年使っているはず。その間に車は2回変わっています。本体はまだまだ使えそうなのが悔しいですが地図の供給も止まったのでしょうがないです。
人間はテクノロジーに頼るとどんどん無能になっていきます。カーナビがないと現在地が把握できなくなっている自分に気がつきます。当然バックアップにツーリングマップルを持ってきていますけれどつどつど見るわけにもいかず。都内では渋滞情報を見ることが主な使用目的ですが旅先では現在地把握が必要なので苦労しました。いちいちスマホ使ったりしてられないです……。
カーナビが出る前は当たり前の行為がこんなに大変だとは思わなかったですね。




常磐道をひた走り仙台東部道路から北部道路そして東北道に合流。仮眠をとって目的地に向かいますが八幡平に寄り道しました。
紅葉、すばらしかった。見頃でした。峠よりも途中がすごかった。天気もすばらしかった。期せずして紅葉狩りです。
峠の駐車場からは少し歩いて八幡平頂上へ。舐めた装備で百名山の一座を制覇しに行きました。行ってみてよかったですね。沼が点在しとてもきれいなところでした。頂上の展望は開けていませんがその途中がすばらしい。八幡平行ってみてよかった。
久しぶりに玉川温泉に入ろうと思いましたがその途中で渋滞したり駐車場が満杯だったりして断念しました。あそこで渋滞するのは初めてです。眠たくなって仮眠をしたりしながら諦めて宿に向かいました。




2日目は温泉三昧です。毎年のように来ているので驚きはないですが今年は特に混んでいたように思えます。午後になって雨が降ってきたので宿でぼーっとしようかとも思ったのですがもったいないので田沢湖一周しました。雨に煙った湖もまた幻想的で思い出に残る風景でした。
ガラケーからスマホに端末を買い換えて最初の旅行だったのでモバイルバッテリーってやつを持って行きました。この日記を読んでいる人は容易に想像できると思いますが当然買ったのはブランド品ではなく怪しいお品です。8000mAh、今の機種だと3回くらい充電できるという触れ込みのタイプで1600円くらい。安いと思います。今のところ問題なく使えています。なので宣伝リンクを貼ろうと思うのですがネットにはその製品がありません。メーカーのサイトはあるけれどそれだとアフィできません。困ったもんです。もっと大容量でもっと安いのもあるから一概には言えないんだけどネット万能、リアル店舗で買うのは趣味人だけみたいな時代ですが、リアル店舗でしか買えないものってのは確かにあるんですよね。ちなみに在庫は潤沢でしたしその店もネット通販やってるんですよ。俺は運良く東京近辺に住んでるんだからやっぱりリアル店舗で買いたいですね。カーナビどうしよう……。




3日目。
例によってこの日が旅のメインです。さくっと食事を取って出発です。
冬型で日本海側は天気が悪いことが想定されたので予定していた紅葉狩りコースはやめて盛岡に出ることにしました。しかしその道もなかなかいい景色で堪能しました。
高速を最大限使って久慈に向かいそこから断崖絶壁を舐めて走るすれ違い困難な絶景ルートに入りました。すばらしかったです。また来たいけれどなかなか来られない。そこがまたすばらしい。


防災無線から流れる「暦の上ではディセンバー」に迎えられて小袖海岸に到着しました。ちょうど12時。ドラマの中でのあの歌は東京編で使われたはずなのに小さな漁村の風景になぜかマッチしていました。至る所に真新しい石碑がありその写真を撮りながら少なからぬ数の観光客が歩いていました。ドラマで見た光景がそこにはありました。一種の聖地巡礼ってやつですが年齢層が幅広いです。観光の拠点になるビルは震災後に建てられた真新しいものですが、おそらくドラマの放送前にできたんだろうと思います。ドラマ放送後だったらもっと商売っ気を出していいと思うしトイレが貧弱だったし。何もなければこれで十分なんだろうなとは思いますし放送終了後ずいぶん経った今では適度な賑わい感がありました。

実際に行ってみると「あまちゃん」で描かれたような場所は断片的にしかありません。ドラマとして成立するように編集されたフィクションです。北三陸(久慈)に限らず東京(上野、アメ横御徒町万世橋)もこういうところがあってもおかしくないけれど実際にはありません。実際には無いけれど雰囲気はまさにあの雰囲気、逆にリアルを知っている東京はその雰囲気をデフォルメして再現している、それがあのドラマが心に残る理由の一つかなと感じました。特に東京の東側に生まれ暮らし、東北にルーツを持つ俺にとってはど真ん中だったんだろうなと。そうでない人にとっても強烈な印象を残すくらいですから。


今回の最終目的地は小袖海岸でした。後は帰るだけです。帰るだけ。非常に簡単な作業のように思えますが今回もまた無茶をして国道45号線をたどりました。
あの震災と津波の前、後、何度か走っている道ですがこれだけ長い距離をたどるのは初めてです。想定よりも遙かに時間がかかり石巻近辺の高速道路に乗ったときには夜になっていました。
復興を旗印にしたダンプが何台も走り三陸自動車道を作っています。できているところは極力通るようにしました。それでもなお、まだまだ傷跡は深い。
あの津波三陸北部よりも中南部に大きな被害を出したってことがよくわかります。北部だって決して浅い傷跡ではないですが……。巨大な防潮堤を再建したり土地をかさ上げしたり、山側に新しい道路と街を作ったり、人間は最大限の抵抗を試みます。それでもそれを凌駕するのが自然の力。
前にも何度か書きましたが津波の前にこの道を走ったときに思いました。こんな巨大な構造物を作る意味はあるのかと。何百年に1回の災害に備えるために無駄なお金を使っているのではないかと。オーバースペックなのではないかと。しかし実際には違う意味である意味無駄でした。オーバースペックにしか見えなかった防潮堤は無残に乗り越えられある場所では破壊されました。ただひたすら水の力によって。そして多くの財産が失われ人の命も……。
絶対に大丈夫ということはあり得ないことはわかってます。それでも最大限の努力はすべき、それだけのコストをかける意味がある、この風景を見るとそう思えてきます。




河北インターから三陸自動車道に乗りここからは本当に一本道。4車線の快適な道でしたが工事の手順の関係か明らかに交通量が多い利府JCTからが暫定2車線という訳のわからない状態で笑ってしまいました。工事中だから次に通るときには4車線になってるでしょうね。
常磐道はほんとに快適。岩沼からいわき中央までのほぼ福島県浜通区間全線が暫定2車線ですが追い越し車線もこまめにあるしカーブが少なく勾配も東北道磐越道に比べて非常にマイルド。疲れ方が全然違います。仙台がぐっと近くなりました。うちからだと東京中心の渋滞にもほとんど巻き込まれずに移動できるので特に楽です。これが4車線化されたら仙台まで距離はそれなりにあるんですけれどあっという間という感覚になるのかもしれません。




帰ってきたら車の調子が悪くなったりしましたが楽しい旅でした。また来年も行きたいな。