科学と宗教のはざま

あけましておめでとうございます。今年も適当に間を開けてよくわからないことを引き続き書くことになると思いますが意識的に読んでくださる皆様本当にありがとうございます。
年末に重たいネタを書こうと思っていましたが同じ方向だけれど少し軽い切り口のことを書きたくなったので年初にはふさわしくない記事ではありますがつらつら書いてみます。




周りの人たちと話していてどうやら私は独特の死生観を持っているのかなと思うことがありますがそれは子供の頃培われたものでその頃まわりはみんなそんな感じだったのでそっちが普通と思っていたみたいなネタを年末に書こうとしていましたがその感覚と趣味で読んでる雑学的な本から得た浅い知識をつなげるとまた興味深い話になるのかなと思いました。


火星やら小惑星やらなにやらに探査機を送り込み地球以外の生命の痕跡を求めるという計画がたくさんありますが生命の痕跡というのはそもそも何で生命というのはそもそも何なのかというところをまず定義しないとよくわからない事態になるのではないかと思っています。
生命とは何らかの手段で何らかのエネルギーを取得してそれを使って自己を複製する能力を持ちなおかつその機能をあるタイミングで失う存在のことではなかろうかと思っています。
エネルギーの取得と複製能力は純然たる化学物理の法則から成り立っていてその反応が止まってしまうから生命活動も止まってしまうということなんだろうなと。
分子生物学の本や光合成解説の本を読むとこういう仕組みよく見つけたなよく考えたなと思ってしまいますがそこにたどり着く過程には数限りない失敗があって失敗した場合その個体は失われてしまうから結果的にうまくいってるのだけが残っているという時間はかかるけれどきわめてシンプルなシステムの結果なのではないかなと。
仕組みが変わるというのは化学的な外乱や嫌われている放射線の影響などがきっかけとなっていて最初は偶然に生まれた化学反応がそのまま維持されるだけではなく少しずつ変化して今に至っているのではないかと。
そう考えると生死という面では宗教の出番はないようにも思えますが逆にその過程に神の見えざる手が見えてきたりして非常に不思議な心持ちになります。


人間が実行していた複雑な作業を人間が作り出した機械にやってもらうという発想は中世以降連綿と続いていますがよかれと思って意図的にやったことであっても成功するもの失敗するものそれぞれたくさん生まれては消えているわけで意図的ではなく偶然に頼った作業が実を結ぶのには気が遠くなるような時間がかかったのだろうなと思います。
しかし意図的にやったことにはある壁があってそれを乗り越えるのは偶然なのかもしれません。ノーベル賞のきっかけになった発明や発見ではそういうエピソードもたくさんあります。
上の話と絡めて書くと全く科学的ではない宗教的な科学的には一見意味がないとしか思えない何かがブレイクスルーにつながる可能性もあるかもしれないなと思ったりもしています。


年始から意図的に読点を打たない読みづらい文章を書いてみました。今年もよろしくお願いします。