ネタがない月一連載

連休も終わりです。明日は五時起き。なーんかむなしいですね。


今日は何書こうかな。別に書くこと無いなぁなんて思っているんですが、よく見たらカテゴリー作ったにもかかわらずほぼ月一でしか書いていない話があったのでその話でも書こうかなと思ったりしています。


が、その前に・・・

ネギま!のファンサイトは本当に数が多くて、しかも熱く細かい(笑)ところが多いので圧倒されていたのですが、そのなかの何カ所かでこちらを取り上げてくださいましてほんとうにありがとうございました。
アクセス数的にまるで少ないので役には立ちませんが、今回初めて紹介して頂いたと思われるサイトをお礼かたがたこちらからもご紹介です。
おまっ、ちょ、やめろよ
がんつく
ネギま部屋(楊さんのページ別館)
他にももしかするとご紹介してくださっているサイトがあるかもしれません。恥ずかしながら、ネタを拾うのはそれほど得意ではなく、自分のサイトがどこで紹介されているのかもいまいちわかっていないので判明した分だけで失礼いたします。


紹介して頂いたサイトからたどっていった先で、非常に印象深かったのが
ごーるど銀賞 消費し尽くされていくネギま!です。

赤松先生「あ、その重箱自体も食べられるから」

なるほど(笑)言い得て妙です。
和洋中のバイキングかと思ったら、皿や箸やテーブル、さらに部屋の中まで全部食べれるのね。しかもしっかり調理しているから痛むこともないし。
たぶん二次創作とかもしやすいんでしょうね。大量にある材料の中から自分好みの物を選んで味付けすることができる。




もういっちょ、ネギま!の話。
14巻125時間目で「物語の主人公は最初にマイナスなことがある」という亜子の言葉が出てきます。なるほど、ネギま!という物語を読む人にとっては自然な言葉だなと。
そもそも設定的にマイナスな人、魔法世界との関わりを持つことによって足りないところがあることに気づいた人、たくさんいますね。で、これは漫画では良くある設定なんだけど「長老」がいる。漫画に限らずハリーポッターとかもそうだけど。作中にマイナス部分が埋まったかどうかを確認する仕掛けが必要になるんですよね。バトルやスポーツだと同じ人物、チームとの戦いがその仕掛けにあたるかな。それもネギま!にはここまでだけでも結構たくさん描写されています。
マイナスな部分から始まる物語ばかりではありませんけれど、極端な例では残像に口紅をみたいな満ち足りた物が壊れていく過程というのもありますけど、何かを追い求めていくというのは物語の基本構造ですよね。


いまさら私が言うようなことでもないんですが・・・魔法先生ネギま!を読んでみて、この作品はものすごくオーソドックスな物語世界を、今風な味付けをすることによって具現化していると感じています。正統派です。いわゆる「大人」が眉をひそめるような表現が多々あるのはしょうがない。だってこれは週刊少年誌に連載されている漫画ですから。少年の嗜好に合っていない限り発表の場を奪われるわけですからしょうがない。(眉をひそめる大人でもオヤジは心の中でにやついていると思う(笑))でも、骨格だけを見るとものすごく重厚ですね。物語としてもっともっと高く評価されてしかるべきだと思います。


心配なのは読後感なんですが、それにも不安はありません。2006/5/5に書いたように「ナギの呪縛」があるので・・・よっぽどひねってひねりすぎない限りはそこまで読んできた人ががっかりするような結末にはなるはずがないと思います。



ネギま!とハヤテとの比較をいずれしなきゃらなんのですが(って勝手に自分を追いつめている)今日は一点だけ。
ネギま!→イベントドリブン
ハヤテ →イベントドリブンではない
ネギま!におけるイベントというのは、新しい事実が明らかになったり人間関係が発掘されたり構築されたりといろいろなことがありますが、ハヤテの場合はむしろイベントはイベント、物語は物語という印象を受けます。大きなイベントの外で物語が進むことが非常に多い。ネギま!のここまでの流れを見ると
ネギ赴任(2003/2)→登場人物紹介(その1)→期末試験(2003/3)→登場人物紹介(その2)→バトル→修学旅行(2003/4)→修行とバトル→学園祭(2003/6)って感じですね。
魔法先生ネギま!研究所 の年表を参照させていただきました。
なんかこういう風にまとめられる。
ハヤテも同じように書こうと思ったらかけないんですよ。三千院帝訪問とか学校入学とかタイタニックとかマラソン大会とかトラの穴とかあるんだけど、書き出すと結局のところ全話書くのと大して変わらなくなってしまう(笑)
上記の魔法先生ネギま!研究所 の「年表」とハヤテのごとく!カレンダーの「劇中カレンダー」「主な出来事」を見比べるとわかるのですが、作った人が違い、作る時にリストアップする観点も違うことをさっぴいても傾向があまりにも違うと思えます。ネギま!はイベント部分を手厚く、それ以外の部分は「つなぎ」として描かれている様に見えるのですが、ハヤテはイベントもつなぎも等価、下手するとつなぎの方がテンポが遅いことさえあります。そもそもハヤテの場合、イベントとつなぎというとらえ方ではいけないのではないかと俺は思っています。その日たまたまイベントがあったからイベントの話を描いたってだけ。極端にいうとイベントでは何も起こらず、行き帰りの道すがら何か起こるかも知れない。そんな感じです。よつばと!と同様日常が描かれているんですよ。実は。
そしてハヤテの場合イベントでなにかが明らかになるということもほとんどないですね。なにか明らかになっても「なんだってー!」ではなく「ふーん」とか「へー」っていう反応のことが多いし。




漫画の話はこのくらいにして今日の本題へ・・・

四回目 細分化される興味



僕が初めて2ちゃんねるを見た時期がWikipediaで推測できた。
2ちゃんねるの歴史
そもそものきっかけは東芝事件で、その年の夏にあった出来事はしっているわけだから、1999の7月か8月のどこかになる。


当時と今とで一番違うところはどこか。もちろんレスの中の言葉や雰囲気も違う。しかし一番違うのは板の多さである。極端に細分化されているのだ。
当時のスクリーンショットは見つからなかったが、一覧は2ちゃんねるの歩みにあった。ぱっと見てものすごく少ないことはわかるであろう。確か一ページに十分収まるサイズだった。


板が分かれる理由は基本的には管理人ひろゆき氏が分けたかったからということになるが、そこに至るまでには
・要望があった
・アラシを隔離
・スレ乱立
などの理由がある。


驚くべき事にこの運営でうまくいってしまっているのだ。板を分ければ分割後の板に住民が素直に誘導されている(もちろん例外もある)。ネットの匿名掲示板などというものは無法地帯であり、書いている人は基本的には運営側の意図は気にせず書いているはずである。ということは板を分割してそちらに人が自然と動くというのは、住民自体が分割を望んでいたからに他ならない。自分と比較的興味範囲が似通っているどこの誰だか分からない人々とのやりとりを楽しみたいというニーズがあったということになる。
僕なんかはむしろ自分とは違う興味を持つ人々と話をしたいと思ってしまうたちなのであるが(もちろん議論などできるはずもなくひたすら聞き役に回ってしまう)、たしかに同じ興味を共有する人と過ごす時間というのは居心地がいいものであろう。碁会所みたいなものである(いったこと無いけど)。
板を細分化することによって、その板にぶら下がるスレもさらに細分化されることになる。板の住民だけでなくスレの住民も発生する(今の僕はまさにそうだ)。そうなるとそこは「2ちゃんねる」としてひとくくりで語れる物ではなくなってくる。2ちゃんねるでもXX板のYYスレ住人という属性になる。
なのに、いざとなると「名無しさん」としての共通意識を持つことがある。本当に不思議だ。2ちゃんねるというテーマパークで、それぞれのアトラクションにリピーターがいる。複数のアトラクションを掛け持ちする人もいるけれど、一つのアトラクションにしか興味を持たない人もいる。それでもそのテーマパークで遊んでいるという共通意識を持っている。
うまいこと結論を導き出せないが、そういうことなのかと思っている。




うまくない。次回辺りで終わりにしようか・・・