筒井康隆著 虚航船団

ISBN:4101171270


今回の一連の連載で最初に取り上げなければならないのは、この作品である。
虚航船団は、初出は「新潮社 純文学書き下ろし特別作品」というシリーズの
中の一冊として出版された箱入りハードカバーの重厚な本である。
一般的に「純文学」という言葉から連想されるとおり、難解であり、作者の意
図を作中から読みとるにはかなりの読解スキルが求められる。
無謀にもこの作品を論じるのは、もし読解力に優れた人がこのサイトを見たと
きに、ぼくの読解レベルを推し量る材料になると思ったからという一面もある。
しかし、それ以上にこの作品に物語としてのすばらしさを感じているというの
が大きな理由だ。


この作品については、大まかな構成を書くことが許されると思う。前にも述べ
たように、難解であるため、本を開いても数ページで挫折することも多いと思
われるからだ。事実、ぼくも読了までに相当の時間がかかったことを覚えてい
る。


第一章:文房具
 宇宙船に乗り込んでいる文房具達の話である。
第二章:鼬族十種
 とある惑星に文明を築いている鼬達の物語である。
第三章:神話
 文房具と鼬族の戦いの物語である。


ぼくの感想では、読みやすさは
 第二章>第三章>第一章
おもしろさは
 第一章>第三章>第二章
である。
3つ有る章のうち、どれかを一つだけ読んでも十分に楽しめる(苦しめる)が
全部を読んだときの方が、むろん、楽しみ(苦しみ)は大きい。




そもそも、「純文学」と銘打たれているものを、単純な「物語」としてとらえ
ることには無理があるのだが、ぼくにとって、この小説がどういう意味を持つ
かについてこれから語ることにする。


この小説の第一章冒頭二文で、この本を読むか否かが決定するといっても過言
ではないだろう。


「まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた」(c)筒井康隆


第一章で登場する文房具達は、みんなくるっている。正気として描かれている
文房具もあるが、その文房具は、自分が正気であるが故にくるっているのでは
ないかと思ってしまう。
それが延々と、文庫版では160ページあまりにわたって書き連なっている。


第二章は「世界史」である。我々の知っている世界史の中で、ブラックな部分
を抜き出してそのエッセンスを書いているものと思えばイメージはつかめると
思う。
最近話題になっている 2ch 原始人に技術を教えるスレ を見て、この章を思い
出した。


第一章、第二章はそれぞれ独立した話であるが、それぞれの最後の部分で関連
について記述されている。


第三章はあらすじの記載が不能である。物語としては文房具と鼬の戦いなので
はあるが、虚構と現実(あるいはもう一つの虚構)が作中で入り乱れる。




この作品のことを、ぼくが物語として読んだのは、2回目からだった。混沌の
第三章をなんとかなんとかもうすぐ読み切るというときに、衝撃の最後の言葉
に出会ったのだ。
ものすごく難解で、読むのが苦しい小説にもかかわらず、最後の言葉を読んだ
瞬間にもう一度読まずにはいられなくなった。この読了感には、未だかつて虚
航船団という小説以外には出会っていない。


そして読み返してみると、恐ろしいことに気がつく。くるっている文房具達に
感情移入をしているのだ。
この小説で描かれる文房具は、擬人化された文房具ではなく本当に文房具であ
る。しかもそれがくるっている。感情移入をすることが非常に難しいはずなの
であるが、この作家の文章の力によって、普段エンターテインメントを追い求
めるだけの読者であるぼくにもそれが可能になってしまうのである。
くるった登場人物に感情移入するとどうなるのか?
そう、自分もくるうのである。しかもくるったことに気づかないのである。
精神状態が不安定なときにこの作品を読むことは避けた方が無難であるが、そ
ういう状況である時に読みたくなる作品でもある。




この文章を書くに当たって、ざっと読んではみたのだがまだまだ読み方が足り
ない。もう一度この作品をじっくり読んでみることにした。


優れた創作物というのは、人をこの上なく幸福な気持ちにさせることができる。
しかし、また、人を壊すことも可能である。人を壊す創作物を規制すべきとい
う考え方が生まれてしまうこともあるが、ぼくは「人を壊すだけの力を持つ創
作物こそ傑作」なのではないかと思う。
その創作物で壊された人によって現実世界でどんな悲惨な出来事が起こっても
人間の脳の力を後世に残すためには、その創作物は世に残しておく必要がある
と考えている。

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