京極夏彦著 魍魎の匣

京極夏彦 魍魎の匣

魍魎の匣 (講談社ノベルス)

魍魎の匣 (講談社ノベルス)



ぼくの長くも短くもない人生の中で一番恐怖を感じた本である。決
してオーバーな恐怖表現もないし、登場人物が悲鳴を上げる場面も
記憶にある限りはない。しかし、そこには底知れぬ恐怖がある。


物語として京極夏彦を取り上げるのには勇気がいる。彼の作品につ
いては今後述べるであろう有る特徴があるためである。
しかし、人の心をコントロールするという点で、非常に上質な物語
性を備えていると考えているのであえて取り上げる。


魍魎の匣」は、ミステリーとして読み始めた。それは、背表紙に
「超絶ミステリ」と印字されているからにすぎない。いわゆる新本
格の新手ではないかと勝手に理解していた。
しかし、ミステリーには珍しく、二日以上の日数をかけて読み終わ
った感覚がミステリーとは違ったのである。


この物語では、極論をすれば何も解決していない。むしろもともと
解決していた話がかかれている読み物である。
かといって刑事コロンボをはじめとする倒述ミステリーとは趣が違
う。この話は、もともと「簡単な」話を一般常識に照らして「難し
い」と考えている状況を解決していく過程を描いている。


物語中に活劇的な部分も多々あるが、それはあまり目立たない。む
しろ静かな空気の中で物語が進んでいく。


恐怖とはいったいなんなんだろうか?自分には理解できない物事を
見聞きした時に感じる物なのだろうか?
いや、この物語で語られる恐怖は自分が住んでいる「こちらの世界」
から逸脱し「あちらの世界」に取り込まれることなのではないか。
「あちらの世界」は決して恐ろしい世界ではない。むしろ「こちら
の世界」よりも幸福に時間を過ごせる場所なのかもしれない。


けれど、ぼくは「あちらの世界」に取り込まれることに激しく恐怖
した。「あちらの世界」にはちょっとしたきっかけで取り込まれて
しまい、自分が「こちらの世界」から逸脱したことに気づかないこ
とすらあるのである。
中禅寺秋彦は「あちらの世界」に取り込まれそうな登場人物を「こ
ちらの世界」に引き戻す。また、「あちらの世界」のできごとを
「こちらの世界」で理解できるよう再構築する、そういう役回りで
ある。
しかし作中で彼自身がその作業をしてもよいのか悩んでいる節があ
る。「あちらの世界」は有る意味ではユートピアでもあるのだから
かもしれない。


現実の世界とは違い、創造された世界では一つの物語に複数の世界
を構築することが可能である。それは実は現実の世界でも人それぞ
れが、それぞれ別の世界を持っていることに対応しているのかもし
れない。

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