漫画という方法の限界




当初の予定では、個別の作品を論じた後は漫画という表現方法の特性
について、まずその方法の持つ特徴、そして社会的な意味での特徴の
順で論じるつもりだった。
ところが、作者の畑健二郎さんから社会的な意味での特徴について、
自らの考えを述べた文章が提供されたので、予定を変更してまずは社
会的な特徴から述べることにする。
参考:Webサンデー漫画家バックステージ


漫画という表現方法で、自己の持つ考えを伝えるのは非常に難しいこ
とだ。それはその社会的な制約によるところが大きい。


実際に本屋に行ってみると、特に住宅街の普通の本屋には雑誌、文庫、
そして漫画が書棚の多くを占めている。文芸書や実用書はそれなりの
スペースを占めてはいるが、その発行総数から考えると微々たる物で
ある。
たとえば神田の本屋、三省堂東京堂、そして書泉に行けば、住宅街
の本屋にはコーナーすらないカテゴリーの本が所狭しと並んでいる。
逆に漫画はどうか。比率から言うと漫画が書棚を占める割合は、さほ
ど増えてはいない。漫画というのは、他の出版物に比べて出版さえさ
れれば書店に並ぶ確率が高い出版物なのである。そして最近ではコン
ビニという販路すら用意されている。


しかし、そのことだけを理由にして、漫画の方が自己の作った世界を
世に問うことが簡単であるということには決してならない。


それは、出版されるまでのハードルが、他の表現手段よりも非常に高
いからだ。


一般的に、商業的な漫画は出版される前に何らかの雑誌に連載される。
それをまとめて、作者によっては加筆修正をして単行本化する。
週刊誌連載漫画なら約3ヶ月、月刊誌なら約1年(ページ数の関係で
もっと短いことが多いだろうが)の連載期間をクリアしないと単行本
化されない。
そして、社会的に認知され、子供と漫画好き以外の層からも注目され
るようになるには、少なくとも5巻程度は必要となることが多い。
新人の漫画家ならなおさらである。子供達や一部の好事家に人気があ
っても一般的な認知度は、いわゆる流行作家よりも低いことが多いの
だ。


さて、ここから先は先ほどリンクを張った畑健二郎さんの文章とほぼ
同じ話である。


漫画の連載を続けると言うことにはものすごい労力と、ものすごい妥
協が必要になると考えている。
連載物という制約から生まれる漫画という表現方法の特徴としては

  • 毎週毎週何十枚か書く原稿で、ある程度の水準を維持しなければならない。
  • 特に一話完結を基本とするギャグ系の漫画の場合は、毎週短編小説を一本書くくらいの物語を生み出す力が必要である。
  • ギャグ漫画の場合は、登場人物の記号性、ストーリー漫画の場合は、そのストーリーそのものが、常に読者に受け入れられなければならない。
  • 自分の書きたい物と読者の嗜好が乖離してしまった場合には、多くの場合読者の嗜好を優先せざるをえない。
  • 一定の水準を維持できていたとしても読者から飽きられれば存在価値を失ってしまう。
  • 多くの読者は雑誌に10本以上描かれている漫画の一本として読んでいるので、個々の作品に対する思い入れが作者の思い入れとは違い薄い



などが挙げられる。


余談ではあるが、10年ほど前か、筒井康隆氏が「朝のガスパール
という作品で、パソコン通信の書き込みを元に新聞連載小説を構成す
るという実験をした。それと同じようなことが、漫画の世界では、ず
っと昔に、そして比べ物にならないようなシビアさの中展開されてい
たのである。
朝のガスパールでのその実験は真の意図を浮き立たせる仕掛けだっ
たと僕は理解している。


漫画という表現方法は、作者の思うままのストーリー展開をするのに
向いていないと言わざるを得ないのである。
もちろん、その様々な障害を越えて、自分が考える世界を世に問うて
いる漫画家は多数存在すると思う。ここで言いたいのは小説などの他
の表現方法と比較して難しいのだと言うことだ。


ベテランの漫画家でも読者からの支持が得られずに連載が打ち切りに
なるケースも多々存在する。その中で新人漫画家として連載を続け、
なおかつ自分の物語世界を語れる人はそれほど多くはないはずだ。


漫画の連載が始まる前には、膨大な設定資料が必要という話を聞く。
それはもちろん作者の考える物語世界を実現するために必要な物でも
あるのだが、読者の嗜好に合わせて漫画の方向を変える場合でも一種
羅針盤として機能するはずである。読者の嗜好に合わせて変更して
いることを気づかれないように連載を進めるには、背景となる設定が
しっかりしているほうが有利であろう。その設定自体が読者の嗜好に
なじまない場合は、その連載自体がかなり苦しい物になるのであろう。
一部の人気が定着している漫画家の場合は、その名前で雑誌や単行本
が売れるという側面があるので、読者の嗜好と乖離をしても連載を進
めることは可能であろう。
ただ、そこに到達するまでの間、漫画家は読者の嗜好に合わせた作品
を生み出さざるを得ないのである。そして到達する漫画家は極々わず
かである。


ただ、一つだけ例外がある。作者が書きたいと思う物語が読者の嗜好
と完全に一致する場合である。しかし、現実問題としてはそれを期待
して連載を始めるのは無謀というものであろう。


漫画家には読者の嗜好に合わせて、その漫画の中核を変えるという一
種の柔軟さも求められていると考える。現代の社会的なシステムを考
えると、漫画という表現方法で新人漫画家が自分の考える物語世界を
作るのは、不可能に近い挑戦と言わざるを得ないのではないか。
だからこそ、ものすごい価値があるのだ。


最後に、僕は残念なことにコミケという物に行ったことがない。高校
生の頃行くチャンスはあったのだが(青春にはいろいろあるんだなぁ・・・)
、当時は漫画に興味が無くて小説ばっかり読んでいる変なやつだった
のでつれなく断った(その後不幸になった原因かも・・・)
今にして思うと、漫画の同人サークルの隆盛という物には、商業誌で
は自分の考える物語を漫画というメディアで表現できない人が多いと
いう理由もあるのではないか。
自分が作り自分が売る同人誌では、自分の書きたい物を書くことがで
きる。「プロの漫画家」にはならず、その道を歩む人も多いのかもし
れない。
同じく筒井康隆氏の作品になるが「大いなる助走 (文春文庫)」で描かれるような
同人も多いのかもしれない。しかし根本的には、今の商業誌では自分
の作品を自分が思うままの形で世に問うことができないというフラス
トレーションがコミケの隆盛を支えているのではないかと感じている。

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読んでいる人が少ないんでいい気になってちょいとセンシティブな話
題につっこんでいるような気もしますが・・・
基本的に知らないのに書くってことは避けたいんだけど、コミケの件
はどうしても触れたかったんだよね・・・


で、明日はうっかり見つけてしまった例の本について書きます。
例の本って???