収束する物語。拡大する物語。




今日からは、漫画、小説と言った表現手法に限定をされない話を書いてい
く。
物語には発表されたなかで完結する物と、完結しているようにも見えるが
別の作品と関連してさらに大きな物語を構成する物の2種類がある。
おおむね作家によってそのどちらを選ぶかの傾向が決まってくる。


僕が取り上げた中では、筒井康隆氏は完結、京極夏彦氏は関連、高橋留美
子さんは完結である。


表現手法という観点からみると、小説は関連、漫画は完結が多いように思
える。小説の、特に僕がよく読むミステリーは、その黎明期から多数の物
語に「名探偵」という関連性を持たせている。
名探偵の記号化された行動、卓越した推理力、一貫した思想、そしてそれ
を引き立てる脇役。その水戸黄門的パターン化された物語を読者は安心し
て読むことができる。


関連性を持たせると、ある物語に別の物語の伏線を張ることが可能になる。
作者の力量次第であるが、それによって、その作品だけを読んだ読者と、
その作者の別の作品もすでに読んでいる読者とが全く違う感想を持つこと
もある。それはそれで、作品世界を広げるという効果も得られるであろう。


しかし、難しい問題もある。特に推理小説、探偵小説に見られることであ
るが、作中人物が成長しすぎることによって物語が成立しなくなってしま
うのである。
名探偵というのは基本的に超人として描かれる。超人は作中の「普通の人」
が聞いてもちんぷんかんぷんな話から、まるで自明のことであるかの様に
結論を導き出し出す。
それを重ねていくと、名探偵が登場する以上すぐに問題が解決してしまう
ので長編の物語が成立しなくなってしまうのである。


今回取り上げるかどうか迷った僕が大好きな作家に島田荘司氏がいる。彼
の「御手洗潔もの」はまさにその問題が発生していて、それを解決しよう
といろいろな手法を使っているのがわかる。


かなり脱線してしまったが、複数の物語の関連をとろうとすると、いつの
まにやら袋小路にはまってしまうこともあるのだ。
物語感の関連性が少ない漫画の場合も同じような事が起こりえる。話が進
むにつれて、それまでの積み重ねのなかで解決している問題を取り上げら
れなく。それがもしバトル漫画の場合には、有名な強さのインフレという
現象を引き起こしてしまう。ずっと読んでいる読者にとっては受け入れら
れる話であるかもしれないが、新しい読者には受け入れることが難しい。


袋小路を避けるためにはいったいどうすればよいのか?いろいろ回答はあ
るであろう。
そのうちの一つに、当初とは種類が違う問題を提起し、それを解決すると
いう方法がある。そのためには物語の基本構造を変える必要がある。当初
からそれがデザインされていればともかく、やむなくその手法をとる場合
は読者に見透かされ、離反を招く可能性もある。


完結した物語の場合は袋小路の心配はない。物語の登場人物はそれぞれの
世界の中で活躍する。別の物語で自明のことであっても別の物語もう一度
その謎を解くことができるのである(読者の支持を得られるかはともかく)
その分毎回新しい世界を作家は考えなければいけない。


漫画の場合、小説よりも完結した物語が多い理由の一つには、先ほど書い
た一つの物語の中にも複数の物語を書いているのと同じような配慮が求め
られるという事の他にも理由があると考えている。


小説の場合は一度獲得した読者をずっと引き継ぐことが多いのに対し、漫
画はその雑誌連載という特性により、つねに新しい読者を獲得することを
求められる。
車でも「オーナーとともに年をとってしまった」という作る側の反省がで
ることがあるが、漫画の場合、それぞれに関連性を持たせると、読者とと
もに年をとってしまうのである。
新しい読者を獲得するためには新しい物語が必要となるのである。

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テレビ見ながら書いたのでやたら散漫なような気がします。
いつも散漫?確かにそうかも。。。
そろそろネタ切れかも。次回はメディアミックスについての予定