メディアミックスの功罪




11月も中旬に入り冷えこんできた。
この連載はハヤテのごとく!第四巻発売までのつなぎのつもりではじめたの
だが結局終わらなかった。来週からしばらくの間(2〜3週間)お休みをす
る。その後モチベーションが続いてなければ唐突に終わることもあり得るが、
日記のネタもそれほど無いので続けることになるのではないかと思っている。


さて、今日はメディアミックスについて考察をしてみる。


小説から映画が生まれ、テレビドラマから小説が生まれ、映画からサウンド
トラックが生まれ、漫画からテレビアニメが生まれ、テレビアニメから映画
アニメが生まれ、映画アニメから漫画が生まれ、音楽からプロモーションビ
デオが生まれ、インターネット掲示板への書き込みから映画が生まれる・・・。
一つの表現手法から生み出された物が、他の表現手法に移植されていく。こ
れが今回論じる僕が考えるメディアミックスである。


ここに来る方は、漫画とアニメのファンが多いのではないかと思う。この二
つの表現手法は前にも述べたことだが、似ているように見えて実は違う。
漫画は登場人物の台詞のイントネーションや、コマとコマとの間を自分で補
って読んでいる。アニメはそれが制作者によって決められている。


さらに、アニメは漫画の完結前に制作されることがほとんどである。いろい
ろなケースがあると思うが、時には漫画の作者のその漫画に込めた意図を知
らないままに、あるいは漫画の作者の意図は知った上で、それとは違う自分
なりの解釈で作品を構成することもある。


なので、漫画とアニメは見た目は似ているかもしれないが、別の作品になっ
ているのである。


漫画とアニメの場合が一番わかりやすいが、それ以外の表現手法についても
同様のことが言えると思う。


ちょっと寄り道をして、漫画とテレビアニメ、映画アニメの特徴と違いにつ
いて考えてみる。
漫画の特性については以前論じたので割愛する。
まずはテレビアニメについて考える。
テレビアニメはアニメーションという表現手法だが、毎週少しずつ物語が展
開するという、雑誌に発表される漫画と同様の特徴も持つ。また、人気が出
なかったら打ち切られるというところも非常に似ている。
作り手は、当然人気が出ることを目標にしてはいるのだが、当初与えられた
回数できっちりと終わらせることも同時に考えなければならない。時によっ
ては中途で急に打ち切られる危険性もはらんでいる。その時にも破綻しない
ような構成力が求められる。
次に映画アニメについてである。
映画アニメは、作り手が意図した物をそのまま観客に伝えることができる確
率がテレビアニメよりは多いと思われる。しかし、物語を語る時間的な制約
はテレビアニメよりも厳しい。テレビや漫画からの展開で、当初から一定以
上の観客が見込めると予想される場合には、何本かに分けた構成をとること
ができるが、通常は一本のなかで完結する事が求められる。そのために、原
作(漫画、テレビアニメを含む)の続編や、原作のエピソードの一部を切り
取ったような構成にせざるを得なくなる事が多いのではないか。


時にはメディアミックスによって、作品の主題自体を変えてしまうこともあ
る。具体的な作品を挙げるのは恐縮ではあるのだが、一つ例を挙げよう。
最近テレビドラマ化された「砂の器」である。
砂の器(上) (新潮文庫)
砂の器(下) (新潮文庫)
前にも述べたとは思うが、僕は小説が一番好きで、映画にもドラマにもあま
り興味がないのだが、たまたまこの作品については映画を見ている。また、
ドラマもクライマックスとなる最終回をたまたま見た。


原作は松本清張氏の小説である。カテゴリーとしては社会派推理小説に分類
されると思う。
僕が小説を読んで読みとった主題は「差別」であった。不可解な謎、断片的
な手がかりなど、特筆すべき要素は多いが、全てはその差別を描くための道
具立てであると読みとった。


そして、映画版の砂の器
砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]
なんども繰り返し見たわけではない。でも心に深く残っている。放浪する親
子、そして背景の映像美。
映像美があるからこそ浮き出る差別の悲惨さ。
小説以上に主題がくっきりと浮かび上がっているように思えてならない。限
られた時間しか与えられない映画という表現手法の中で、僕が感じていた主
題がより印象的に浮き立っていた。


最後にテレビドラマ。全てを見たわけではないので軽率な批判はできない。
しかし、最終回を見た限り、僕が感じた主題を感じ取ることができなかった。
現在の社会的な状況、視聴者の嗜好など理由はいろいろあるであろう。でも
だからこそ、今のこの時代であるからこそ、原作の主題は変えないで欲しか
ったというのが僕の勝手な思いである。


あるメディアで作品を知り、それが別のメディアに展開されることによって
物語は新たな広がりを見せることがある。そして、物語が全く別の物に変容
することもある。
別のメディアに軸足をおいた、別の才能によって、元々は特筆すべきところ
が無かった作品に新たな命を吹き込むことも多々見られる。
しかし、それを受け入れるかどうか、認めるかどうかは、実際にそれを目に
し、感じ、聞く、我々にかかっている。

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間はかなりあきますが、次回は「物語とはなにか」の予定