第三日:あこがれ

2005/12/18の日記で、まほらばからは「物語へのあこがれ」が感じられるという感想を書いた。最後にそのことを中心に書いていきたいと思う。


この作品には二つ「作中作」と呼べる物語が存在する。一つは三巻に収録されている「ハル」という「作品」である。
この作品は絵本作家を目指す白鳥君が創作したという体裁を取っている。男と、おそらくは梢ちゃんをモデルにした妖精的な植物との出逢いと別れを描いている。
出逢いと別れ。それはこの「まほらば」という作品で頻繁に描かれている。出逢わなければ今はない。そしてその今を大切にしたい。しかし、確実に別れの時はやってくる。一日目にも書いたそのことが切なさを感じさせる。


もう一つの「作中作」は五巻で描かれている沙夜子さんの見る夢である。この夢の中で最も印象的なのは、分裂した梢ちゃんがそれぞれ実態を持っている所だ。早紀ちゃん、魚子ちゃん、棗ちゃん、千百合ちゃんが夢の中で会話をしている。しかしそこには梢ちゃんはいないのである。


この二つの作中作を読んで、僕は作者小島あきらさんの強烈な「物語へのあこがれ」を感じた。誤解の無いように書くが、まほらばという作品自体すばらしい物語だと感じている。しかしこの作品にも作中にルールがある。この作品世界から逸脱する行動を登場人物が取ることはない。特に二つ目の話では、その制約をなくした世界を構築して物語を作ろうと試みているように思える。


まほらばという作品は、おそらくは予定調和で終えるのではないかと推測している。予定調和、すなわちこの作品の終了への十分条件となっている梢ちゃんの人格統合である。しかし、その結末には二種類が考えられる。
一つは蒼葉 梢という少女の人格はそのままで、そこから別の人格に分裂することが無くなるというパターン。もう一つは蒼葉 梢という少女の人格をベースとして、存在している別の人格が持つ特徴が統合されるパターンである。


前者のパターンの場合はまほらばの舞台「鳴滝荘」という世界は物語終了後もそのまま残る可能性が高い。その世界を支える梢ちゃんがそのままであるからだ。後者を選択した場合には、残念ながら梢ちゃんは今の梢ちゃんではなくなってしまう。作中でさらに魅力的になるかもしれないが、少なくとも今のまほらばの世界を支えている梢ちゃんではなくなるのだ。
まほらばという作品を読んでみると、小島あきらさんは後者の選択をするように思えてならない。そしてそれを漫画というメディアでどう表現するのか非常に興味がある。この作品は最初から別れを強烈に意識させる物語である。


最後に、登場人物の名前にこめられた思いを推測してまほらばの感想を終えたい。
この作品では主要登場人物は「色」を名前に持っている。そのなかで、主人公とヒロインは特別な「色」を与えられている。

  • 白鳥 隆士:白
  • 蒼葉 梢 :蒼

青葉ではないのだ。
蒼という文字からみなさんは何を思い浮かべるだろうか。僕は蒼氷を思い浮かべる。そう、この文字は「透明」を意味している。
主人公とヒロインは、二人とも、何色にも染まっていない色を与えられているのである。

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ぐだぐたですorz これが実力