10日かけたファンレター後日談その6

さて、「切り札」について。
俺が今持っていると思ってるこの作品についての切り札は

  • 作品の主題
  • タイトルに込められた意味

で、前回最終日にそれは明かしてしまいました。
しかし、当初予定では切り札は別に用意していました。ところが、その、私が用意していた切り札が思いがけず相手の手の内から切られてしまったんですよ。驚いたし激しく混乱しました。
それは、最終日末尾に書いたバックステージVol.49の中の一節です。
私はハヤテのごとく!の切り札は

  • 一見いつまでも続けられる漫画のように見えて、実はある一つのエンディングを目指している

ということだとあれを読むまで思ってたんです。それに「俺は気づいたぞ!」という誇らしさがありました。あの頃はまだ。


そもそもバックボーンが貧弱なので、作品論を書くのはなかなか難しい。だから私はむしろ「なぜハヤテのごとく!が社会現象的な大ヒットをすると思うのか」という所を書くつもりだったんです。そういう切り口で書くのは作品を本気で愛している人には実際難しいんじゃないかなという考えと、結果が出るまでにかなり時間がかかるのではずしても誰も気づかないんじゃないかなという考えがありました。浅はかです(笑)
その論拠の柱として考えていたのは

  • この先あるタイミングで、この作品の物語性を全面的に押し出したプロモーションを展開する

という予測でした。
この作品の切り札は一見しただけではわからない強烈な物語性だと思っていたんです。しばらくの間は一部の読者だけがそれを認識している状況を放置して、ある程度まで浸透したところで明確な終わりが存在していることを広く開示することによって新しいステージに行くと思っていたんです。
だからあれ読んで「やっぱりな」という思いもあったし、自分の考えが当たっていてうれしくも思った。でも、あまりに早すぎるんですよ。まさか物語序盤で作者本人から明かされるとは思っていなかった。
一周年を期して真情を吐露したという見方もできるけど、敵(あえて敵と書きますが憎んでいるわけではありません)はプロですから。さらに畑健二郎さん本人がぽろっと漏らしたっていうならわかるけど、あの文章は商業的な成功ということも考えているはずの編集、出版サイドのチェックがないとアップロードされないわけですから。
あれを読む前は、その物語性についてはちょこっとだけ触れるつもりでいたんですが考え込みました。それまで私が書いた物を敵が読んでいて「そんな簡単な話じゃないんだよ」と言われたような気がしたんです。あの文章を読んだことがきっかけとなって、身の丈に合わない作品論を書かざるを得ない気分になってしまいました。そのおかげで、一生の思い出に残る時間が過ごせたので、今は感謝しています。


私はこの作品の切り札は物語性ではないと今は思っています。それ以上の切り札が用意されているのではないかと思っています。そしてそれははまだ明かされていないと思っています。それが開示されるのは早くても連載三周年前後かと予想しています。その切り札がなんなのか、あるいは切り札の存在自体が私の妄想なのか、それはまだわかりません。


バックステージVol.49を読んで感動したという言葉に嘘はありません。未だに読むたび涙ぐむことも事実です。でも裏ではそういうしょうもない事情もあって、あの文章に衝撃を受けたわけです。


私の方の今のところの切り札はもう開示してしまいました。それが正解かどうかはもちろんわかりません。もしかすると永久にわからないかもしれません。他の切り札をこれからも探していこうと思っています。


昨日もっとたくさん書いた覚えがあるんですが、すっかり忘れてしまっています。脳がもうだめ・・・


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