あの日・・・・
あの日は月曜日でした……
いつもの月曜日でした。いつものように7時に起きてテレビを見ました。
高速道路が横倒しになっていた。
「どうせ手抜き工事じゃないの?」「死人は出ていないみたいだからよかったね」
他人事の家族の会話。
なんの不便もなく電車に乗って、なんの苦労もなく上野駅。
上越新幹線に乗って新潟に向かう僕。上野で買った駅弁をお茶で流し込む僕。
新潟に着くと大阪行きの特急が運休していました。
「意外と大きい地震だったんだなぁ」。
職場についていつもの仕事。世の中で何が起こっているのかわからない倉庫の中。
仕事を終えて夕食を買いにコンビニに。そして初めて目にした情報。ああ。思ったより大変なんだな。
翌日、昼休み、雪の中で冷え切った仕出し弁当をかじりながら全社放送のラジオを聞いていた。なにが起こっているのかが少しだけわかった。情報が無かったんだ。
週末、東京に帰り食い入るようにテレビと新聞を見た。そう、1995年、携帯電話もインターネットも普及する前だった。出張先ではテレビはおろかラジオすらなかった。世の中で何が起こっているのか、わからない。
あの日から丸十年がたちました…
阪神大震災。
阪神大震災。その言葉を聞くとそれから数年後に生み出されてしまった、あの文章を思い出すことがある。
人間の汚い部分。卑しい部分。それが巧みに表現された極々短いテキスト。
読むと不快になる。しかし思う。あの文章に描かれている人間と、僕とで、いったいどこが違うんだと。
テレビ、ラジオ、新聞で垂れ流される情報を「他人事」として見て、聞いて、読んでいた僕とどう違うんだ。
あの日から丸十年がたった。
阪神大震災。阪神淡路大震災。兵庫県南部地震。
二十世紀末の都市を襲った大自然の営み。
僕は思う。人間は自然を守ることはできない。自然をコントロールすることはできない。
できることは備えること。
自然の中の、都合のいい部分に、環境という、都合のいい言葉をつけて守ろうとしている。でもそれは浅はかな考えじゃないか。
自然とは、ある時には戦い、ある時には畏れ、そして、また、あるときにはただ受け入れる。そうやってつきあっていくしかないのではないか。
自然を人間が、生物が、守れるなんて思ってはいけない。自然、そこからみたら人類の滅亡なんて小さな事柄なんだ。国の滅亡、都市の破壊なんてもっと些細なことなのだ。
ここ数年に起こったことを思い起こす。
文明、特に都市文明は自然に対してまるで無力だ。
破壊されたとき、当事者が自分自信で解決できることはなにもない。むしろ自然を受け入れ共存している山村、農村、漁村の方が力がある。
もしそこに情報さえあれば。
あの日から丸十年。
僕は日本という国、東京という町に生まれ、今でも東京という町を基盤にして生きている。
この町で暮らしている以上、この国で暮らしている以上、生きている間に自然の猛威にさらされる確率は他で暮らしている人々よりも高い。
その時僕はどうするのだろうか。
地理、地学に興味がある以上、実際の自然現象を見てみたいという思いは当然ある。しかし、その結果、僕の命は尽きるかもしれない。
どんなに家を直しても、どんな安全な建物で仕事をしても、確率が減るだけだ。可能性は決して0にはならない。
その時、僕は受け入れることができるのだろうか。受け入れざるを得ないと思うことができるのだろうか。あるいは、その、いとますら、与えられないのか。
丸十年。
人間が生きる時間としては長いかもしれない十年。自然の営みからは一瞬にも値しない十年。兵庫県南部では、あの日から、改めて次の千年後に向けて、十年分のエネルギーがたまっているはずだ。
千年後、それも自然の営みからすれば一瞬に過ぎない。人類の繁栄なんてそんなものなのだ。
あの日は月曜日だった……
僕にとっては普通の月曜日だった。
ある人にとっては憂鬱ないつもの月曜日だったかもしれない。
そして別のある人にとっては多忙な月曜日。
しかし、思いがけず最後の月曜日になってしまった人もいる。
1995/1/17
その日は月曜日だった。
バックログもだらだら日記もいろいろ書きたいこともあるんですが、今日はどうしてもこれを書いておきたい。
いつもと違う雰囲気でごめんなさい。
お休みなさい。
2006/1/17追記
あの日は火曜日でした。ずっと月曜日だと思いこんでいました。恥ずかしいですが文章は変えずそのまま残しておきます。