懸案事項を片づける

雪です。大雪です。
「こんこん」ではなく「がしがし」降ってます。
蔵王ではいやになるくらい雪を見てきたわけですが、東京(の近所)で見る雪はまた違いますね。現在積雪5cmってところでしょうか?つもりづらいアスファルトの上でも車が通らない道は真っ白です。
今日は買い物に行くのでちょっと鬱な気分にはなりますね。でも朝から降っているから冬仕様になっていない車は少ないかも。自分で気をつけてももらい事故もあるから雪は怖いよ・・・
2ch某スレは数年ぶりの祭りでみなさん舞い上がってます(笑)


今日こそは都心まで買い物に行かざるを得ないわけですが、その前に溜まっていた感想をちょこっと書くことにします。

かなり日数が経ってしまったんですが・・・今の気持ちは「続きはどうなるの!?」です。最後の楽屋落ち?については人によって評価が分かれると思います。いらないんじゃないかとも思ったけど、、ただあれがないとこれはこれで完結している話になっちゃうからなぁ。正統ミステリが好きな人には受け入れられないでしょうけど。
謎解きなのにネタバレしてももういちど見てみたい作品ってのはそれほどありません。ひぐらしはその数少ない良作の一つでしょうね。
でも、個人的に大きな問題が・・・
一般的な店で流通していないものを買いにいくのってしきいが高いです。
同人っていう文化になじみがないので、そこになかなか踏み込めないんですよね。年とともに人間はどうしても保守的になってしまうのでいかんともしがたいです。
取り扱い店舗リストを見てなじみがあるのはあきばお〜とソフマップです。でも普段行く店とは別の店なんだろうな。たぶん。だってみたことないもん。

先週ハヤテ五巻とともにかってきました。で、もちろん読みました。
続きも買って読みます!
三巻で印象的だったのはエヴァンジェリン編をこの巻でむりやりまとめたという巻頭の作者の言葉です。先の売り上げが気になる作者にはこんなことはできませんね(笑)いいところで切って次巻にひっぱります。自信あるんだなぁ。


一応三巻という節目なのでここまでに描かれていることに限定して俺の考えを書きます。先を知っている人は茶を吹くような話もでるかもしれませんよ。。。


この作品では魔法使いの世界から「修行」のために日本にやってきた少年が、いかにして立派な魔法使いになるかをゆっくりと描こうとしています。
ところが、実は修行のためにやってきたところは魔法使いの世界と普通の世界のインターフェースとなるような場所でした。だから魔法を使っていることが特定の人にばれてもペナルティが与えられないことがあったりするわけです。さらには、立派な魔法使いになることに必要な「パートナー探し」ということもできる場であったりするわけです。完全に違う世界だったらそれはできないわけですから。
一巻二巻を読んで感じていたことは、ネギくんが違う世界を知ることによって成長をするというモチーフだったのですが、むしろこの作品の中では一つの世界の中での出来事が描かれています。
麻帆良学園中等部の生徒達はネギ先生がくるまではそれはそれで独立した世界に生きてきたわけですが、彼がやってくることによって、実は自分たちは違う世界と関わりがあるのではないかということに気づくわけです。
学園の先生はネギくんが住んでいる世界を元々知っていました。そしてクラスメートの中にもその世界を深く深く知っている人がいるということが三巻で明らかになっています。


あまり深くは書けないんですが・・・俺にとってはネギま!という作品は極めて少年漫画的で安心して読める良い作品だと思っています。そして、この作品も読者の反応によって多少の変更はあるかと思いますが、最後までデザインされていると思います。
そして、恐ろしいことにこの数多くの登場人物の役割分担も完璧にデザインされていると思います。物語を生み出す人の頭というのはいったいどうなっているのでしょうか??俺には想像もつきません。
まとまりがないですが、感想本編はこんなところで・・・



  • ということを踏まえて、俺が今まで書いたことを振り返ってみる



俺が書いている世界観。ものすごく単純化しています。
そもそもここに書くようになったきっかけが、ハヤテのごとく!という漫画が「ギャグ漫画として」特有の世界観を持っているにも関わらず、過去の作品が乗り越えられなかった壁を乗り越える可能性があるということに気づいたことだったんです。
ギャグ漫画のお約束は、二つ以上の価値観が違う世界に住む住民のずれですから。でも話が進むに連れてそのずれが無くなっていき、新しいズレを生み出す登場人物が出てきたり、作品が終わったりするわけです。
それを論じるために世界観という概念を持ちだしてしまったのでそうなってしまっているんですね。要は、俺の分類で言うと、ほとんどの普通の物語は一つの世界の中で完結しているんですよ。むしろそうでないものは物語としては破綻している。逆にその破綻している面白さがギャグになると思っているんですよ。


ところが、その後ハヤテのごとく!に違和感を感じて読み返してみると、この作品が異様に強固な物語であるととらえざるを得なくなった。そもそも、「ギャグ漫画として破綻しない=物語としては破綻し続ける」という可能性に賭けようと思っていたわけですからものすごく混乱しました。っていうか今でも混乱してます。メダパニです。
まぁ、二つ以上の価値観が違う世界が最後まで両立するというのはおれの直感的なところなので、それは崩れるかもしれません。畑健二郎さんは続くように工夫をしています。でもそれは他のギャグ漫画でも普通に行われていることですから。それでもうまくいかないんですよ。自分でできないのに偉そうですが難しいんだろうなということは想像できます。
この話は近々別の作品をテキストにした感想でもう一度書くと思います。


さて、▽架空の杜△で紹介されていた動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)。職場と自宅の近くの本屋には無かったのでまだ読んでいません。今日これを買う予定です。雪にやる気をうばわれなければ・・・(笑)
本編を読んでいないので、勘違いしているかもしれないんですがネギま!に触れた今日一言コメントを。
ツリー構造とデータベース構造。なるほど。そういうことか。わかりやすいです。とっても。人間与えられた物を評価したり分析したりするときには、まずは自分が知っている価値観で語ろうとします。今の俺はまさにそういう状態です。この概念は今まで無かったので勉強したいです。
ネギま!を少しだけ読んだ今、ハヤテのごとく!をデータベースモデルで語るべきということに全面的に同意します。ネギま!はまさにデータベースモデルだと理解しやすいので両方読むとくっきりとしますね。この先読み進めるとどうなるかわからないけれど。
しかし、ハヤテのごとく!が成長物語であるということについては今は譲りません。今の時点ではネギま!だってハリー・ポッター的な魔法使い成長物語だと思ってますから。そのあたりツリーモデルの呪縛から逃れられていないのかも・・・
それを踏まえてハヤテとネギま!の最終的な構造の違いを想像すると、ネギま!は最後は一点に収束することが予感されます。主人公の目的がはっきりしている。それと比較して、ハヤテは一点に収束せずに終わると考えられます。2006/1/14の日記に書いた複数の幹が統合されるのではなく絡み合って、あるいは、分散することによって終わるのではないかと考えています。それは上記の日記でほのめかして「妄想なので書かない」といった話に直結するんですけど。だからまだ具体的には書きません。証拠が見つかったり自分の中でまとまってから書きます。
ハヤテのごとく!ネギま!が狙っているのはもしかしたら同じ所なのかもしれません。もしそうならばネギま!の方がよりすぐれた作品だと思います。なぜかというと、それを読者に気取られないだけの力量があるからです。ハヤテを読むとどうしても感じる「違和感」をうまく消し去っているということになります。
ネギま!は俺から見ると正統派です。違和感がない。ハヤテは異端です。いったい自分がなにに興味を引かれてどこが面白いのかさっぱりわからない。だからはまっちゃったんです。たとえそれが間違えであっても謎が解けると興味を失うものなんですが、謎が解けてもどう解くのかわからんのですよ。となると自分の考えが間違えているんじゃないかと思ってさらに考えちゃうんですよ。
予想外にたくさん書いてしまって本を読んでから書くネタが無くなるのではないかと心配です(笑)前にも書いたけど、評論系の文章を読むのは苦手にしておりまして・・・すぐに書けないかもしれないし、何かごちゃごちゃ書けるほど理解できない可能性もありますがとにかく読んでみます。


では、雪の中出陣します。10cm積雪か。事故らないように気をつけよう・・・


追記:
無事に帰ってきました。過去の日記にコメントを頂いていて。なんと日本の地形レッドデータブック〈第1集〉危機にある地形の著者の方でした。インターネットは公開の場であるということを改めて認識しました。今日の記事で結構いい加減なことを書いていたので反省。素人と口酸っぱく書いてあっても、何も知らずにネットサーフィンしている人から見ると専門家の文章と等価に見えてしまうこともありますから。残りのネタはまた明日。