まぁこれの話のわけですが。ある意味今日は俺にとっての核心部分の話かも。
グインサーガ外伝の解説を読んで、そういえば登場人物のほとんどがみんな孤児であることに気づき、それに今まで気づいていなかった俺がいたわけです。違和感をまるで感じていなかったんですね。
ところがハヤテのごとく!では余裕でそこに違和感を感じていたわけです。その違いはいったいなんなのか。


それは俺のハヤテのごとく!という作品に対するとらえ方の問題だと思います。
この作品のことを当初はギャグ漫画としてとらえてました。そうとらえると登場人物達の悲惨な設定は無駄なんですよ。ほかにいかようにもできるんじゃないかと思うわけです。
ところが物語としてとらえると全く無駄ではない。逆に本筋に深く関わってくるわけです。


グインサーガの設定に違和感を感じないのは、そもそも、架空の星の架空の時代、それも戦乱時代を描いている話なのでその状況はある意味当たり前なんですね。そういう状況を描いているわけですから。この状況ではもし市井に生きる普通の人々を描いていたら違和感を感じているはずです。「トーラスのオロ」を始め、一般の市民も確かに登場します。しかし彼ら彼女らは戦乱に否応なしに巻き込まれるわけです。逆に巻き込まれないようだったらこの作中に登場しないんですよ。巻き込まれるから描写されているんです。田舎町で平和な一生を送る人の普通の生活まで描いていたら1000巻あってもたらんのじゃないか?ていうかそんなの商業ベースで出版されるか?


ハヤテのごとく!の場合はいろいろ人によってとらえ方は違うと思いますが、まぁ、平和な現代の日本が舞台なわけです。その状況ではほとんどの人にとってはありえない不幸さだったりするわけですね。
でも、現代社会に生きながら不幸をしょっている人々を描くという作品だったらいくらでもあると思います。幸福な生活から突然不幸に放り込まれるモチーフとか一般的です。


ところで、ハヤテのごとく!は物語としてとらえると邪魔な存在があるんです。それが誰あろう「西沢さん」。作者自身が「普通」であることを意図的に強調している登場人物です。
四巻のプロフィール+俺の妄想ですが、彼女はおそらく普通なままだと思います。確かにナギの世界に巻き込まれてはしまったけど、歩の世界にとどまり続けると予想しています。
それは、物語としては邪魔な存在です。彼女を描くためには作中に異質な物を持ち込まなければならないんですよね。


ここで、俺のこの作品のとらえ方に戻るわけですが、ハヤテのごとく!はそもそもギャグ漫画でもあるというところです。ギャグ漫画には違う世界とのズレというのが笑いを産むというモチーフがあります。最近サンデーで連載が始まった地底人のやつなんかまさにいい例でしょう。作中のメイン登場人物と市井に暮らす普通の人々とのズレというところではうる星やつら34巻の軽いギャグとからんま1/2で小太刀が部屋に来たときのあかねの反応なんかがいい例かもしれません(ちょっと違うけど)。
個人的な好みですがこういうの大好きなんです。
それはともかく・・・


ギャグ漫画としてとらえると、別の世界を持っている登場人物がいることは非常に好都合で、物語としてとらえると逆に邪魔になる。ギャグ漫画だと一つの世界に収束すると作品が危機を迎えます。物語だと登場人物がそれぞれの世界に拡散を始めると終了時期が近いことを予感させる。だから両立させることはかなり難しいと思っています。でもこの作品では両立すると思うんですよね。それだけの仕掛けが作り込まれていると想像しているんです。
そしてその対立する要素があるから面白い。最終的に統合されるのか拡散するのか読めないんですよ。ちょいとばらすと今は拡散して終了すると思っていますがこの先意見は変わるかもしれません。


飛躍しすぎかな?最近どうも書いていることがぶれているような気がしているんでまとめたくなりました。ただ今日書いた物がさらにぶれていたりするんだよな。読み返してみると・・・
修行がたらんなぁ・・・




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