時の流れと「物語性」

昨日は酔っぱらっていたのでかなーりぼろぼろでしたね。
そういや車の運転もぼろぼろでした。いえ、酒飲んで運転したりはしてませんよ。そもそも俺の場合たぶん発進できないから。クラッチつなげなくなる(笑)
首都高で何度もブレーキ踏んじゃってるんだもん。いかんよなぁ・・・つっこめると思ってるたスピードとコーナーでの体感速度のぶれが大きかった。靴がいつもと違って革靴だってのもあるけどひどすぎ。後ろからついてくる車がいたらかなり申し訳なかったな。空いてたんでその心配はないみたいだけど。


昨日予告した物語系サイトのご紹介です。
不二草紙
見つけたときはさらっと読んだだけだったのですが・・・
「萌え=をかし」
なるほど〜
桃尻語訳枕草子をさらに現代風にするとそうなるのか。なんかイメージがつかめてしまう。


それ以上に衝撃を受けたのは
「をかし・・・貴族性」
もののあはれ・・・武士道」
です。
「へーボタン」があったら壊れるまで押し続けるかも知れません。ただ、、、残念ながら補足とか反論とかできないです。なぜかというと・・・枕草子源氏物語もちゃんと読んでいないから・・・


トラックバックを張りたい記事がたくさんあるので迷ったのですが、ここでもどーでもいい感想を書いている本「感動」禁止!―「涙」を消費する人びと ベスト新書について言及してらっしゃる所に張りました。
改めて自分の感想を読み返し、今日紹介したサイトを読むと・・・orz です・・・


こちらのサイト、新書の感想が豊富で、しかも俺が読んでいる新書とあんまりかぶってないのでそれも面白かったです。ブックマークしましたよ。アクセス数を拝見すると人気を集めているサイトですね。ここで紹介するのはかえってご迷惑でしょうかね・・・




さて、表題の件。
全ては2006/11/27に書いたことを思いついたのがそもそものきっかけです。あれを思いついていなければ、今まで聞いたり読んだりみたりして感動した小説やらテレビドラマやら映画やら歌やら漫画やらの共通点ってまったく見いだせてませんでした。
昨日の夜とか、酔っぱらった勢いでいろいろ検索してみたんですが、俺の感覚をそのものずばりで書いているサイトがなかなか見つからないですね。二つ理由が考えられて、一つは「あまりに当たり前のことなので誰も書かない」、もう一つは「俺独特の感覚なので他の人とは相容れない」です。


恥を忍んで、改めて俺の趣向から「時の流れこそ物語性の主要部分である」という結論に達した理由を書いてみます。


最近読んでなんともいえない切ない気分、言葉をかえるとやるせない気分になった本に、後巷説百物語 (C・NOVELS BIBLIOTHEQUE)があります。このシリーズは「必殺シリーズ」のような痛快なお話なんですが、この最後の(続編が書かれるとしてもこのシリーズ構成上は最後になると思います)結末を読んで、どうにもならない切なさを感じたんですよ。その前に書かれた続巷説百物語 (角川文庫)のラストにも切なさを感じましたがそれ以上でした。シリーズ物の短編集という構成でこれだけ「来た」のは初めてでしたね。
読んだ頃には書けなかったけどその理由が今なら書ける。「もう戻れない」「戻りたくても戻れない」「戻りたいけれど戻らない」、物語の中で過ごした時間は全て「過去の時間」だ。その感覚だと思うんですよ。「めでたしめでたし」になって冒険が終わってしまったときの喪失感、それと同じでそれより強烈。冒険が始まる前の時点に時間を遡ることはできないことが描かれているんですね。
読み手にそうとは気づかれないかも知れないけれど「時間」というのを強く印象づけているんですよ。


前にも書いたことの繰り返しですが、ハリー・ポッターは「七年」という時間を読み手は受け取っている。あの魔法の世界の冒険活劇は作中で七年経ったら終わってしまうんです。もし作者が翻意してその後の物語も書き綴ったら、読者が支持をするかは微妙だと思っています。七年目まで読んだ読者は「与えられた物語」はそこで終了することを明確に意識し、その後の物語は自分の脳内で組み立てるでしょう。その時点で作者は「神」の座から滑り落ちてしまうんですよ。それは「さるまん」で書かれていた「Part2物はヒットしない」って話の原因の一つにもなっていると思います。


もう一つ、これも前に書いた話。大塚愛の「さくらんぼ」。昨日書いた「M」ほどではないけれど俺は妙に切なさを感じます。それは、歌詞の冒頭で「二年」という歳月を印象づけられているからなんですよね。短い歌詞であるにも関わらず、その一言で「二年」という長さを与えられその「二年」の物語ができあがってしまうんです。そして、歌われている今がある。少なくとも俺にとってはそこがあの歌のポイントです。


年月、そして時間というものを読み手に強烈に意識させること、それが物語で感動を呼び起こす大きな理由であると俺は考えています。




正直、話の展開予想はあまりしたことがないし、当たったこともほとんどありません。当てたのは物語ではないけれどドラクエシリーズ。有名なIIIともう一つどれか忘れた。そのもう一つの方は友達に予想話してしばらくして「○○の言ったとおりだったよ!」と言われかなりうれしい反面がっかりしたのも覚えています。自分ではそこまでまだ行ってなかったから(笑)でも実際に自分がそこまで到達したときには、それがわかっていたにも関わらず戦慄が走りました。俺にとっての感動ってのは事前に予測できたかどうかってことはあまり関係ないです。だからネタバレとか読んでもあんまり気にならないんですよね。




さて、それはともかく、、、今、俺はある作品の展開を珍しく予想しています。しかもそれをはずかしげもなく公開の場にかいています。


昨日も書いたことですが、物語性の根幹を構成していると俺が考えている「年月」というものを、今までに(少なくとも俺にとっては)無かった手法で描こうとしている作品が今生まれようとしているのではないかと注目しています。


2004年10月から週刊少年サンデー連載中の「ハヤテのごとく!」です。


今はまだあまり多くの人には注目されていません。しかし、この作品は五年後十年後には誰もが名前を知っている作品、誰もが一度は読みたいと思う作品、そして多くの人が得体の知れない感動に苛まされる作品になり、大げさに言えば「世界を変える」のではないかと予想しています。


ハヤテのごとく!
今ならまだ六巻までしか出ていないのでとっつきやすいです。買いづらい表紙ですが(笑)読んだことがない方はぜひ読んでみてください。もし、俺の妄想に同意していただけたらとってもうれしいです。

ハヤテのごとく! 6 (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! 6 (少年サンデーコミックス)



今日は俺的には比較的新しめの物を引き合いに出して書いてみました。これより新しい物はほとんどアンテナにひっかかってないんで考え方古いかも知れないんですねぇ。困りましたねぇ。


なんとなく仕事に一区切りついて、ここらで長文を書きたくなるお年頃になってしまいました。外は春のうららかな日差しだって言うのに部屋の中でなにやってるんだか(笑)


今日もこれから出勤ですが、先週までとは明らかに気分が違う♪つじ田のラーメンの味も違うように思えたりしたらどうしよう。



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