汽車・列車物
さて、昨日の続き。
まず、汽車・列車物は・・・と書いたんですが、俺が念頭に置いている歌を列挙してみましょうか。
※歌詞を転記する度胸がないので興味あったらぐぐってみてくださいm(_ _)m
ゴダイゴ
「銀河鉄道999」
チューリップ
「心の旅」
イルカ
「なごり雪」
大滝詠一or太田裕美
「さらばシベリア鉄道」
石川さゆり
「津軽海峡冬景色」
昨日挙げた
サザンオールスターズ
「希望の轍」
ブルーハーツ
「TRAIN-TRAIN」
「希望の轍」を汽車・鉄道物に分類するのも無理があるのかも知れないけれど俺がそう感じる、それだけ。(笑)
あえて毛色の違うのも混ぜてみました。たぶん他にもいっぱいたくさんあると思います。
話脱線するけどこれ書くのにネットで検索してたらいろいろびっくりすることが・・・
太田裕美は荒川区出身。びっくり。同郷だよ。
「希望の轍」はサザンオールスターズの曲ではない。びっくり。
元に戻して・・・
ここで挙げた歌をまず二つに分けてみます。曲調が「鉄道チック」名ものとそうでないものです。ええ、主観です。完全な主観。
鉄道チック
「銀河鉄道999」「心の旅」「さらばシベリア鉄道」「希望の轍」「TRAIN-TRAIN」
そうでない
「なごり雪」「津軽海峡冬景色」
なんのことはない、「心の旅」はちょいと微妙ですがタイトルが鉄道チックかどうかでわけるのと変わらないような気がします。
でも、俺の主観で色分けをすると今回挙げた曲の分類はこうなります。
切なさと希望
「銀河鉄道999」「心の旅」「なごり雪」「希望の轍」「TRAIN-TRAIN」
それ以外
「さらばシベリア鉄道」「津軽海峡冬景色」
ってことはやっぱり俺は曲よりも歌詞主体で聞いているんだろうなってことがわかる。だから洋楽は・・・
ここからなんらかの共通点を見いだそうとしたんですが難しいですねぇ。固有の地名が入っているか入っていないかかと思ったら違うし・・・
「津軽海峡冬景色」は異質なことはわかるんですよ。この歌は列車を降りるところから始まってますから。その後連絡船に乗るけど連絡船も行き先はわかっているわけで。今の人は知らないかも知れないな。むかーしは青森から函館まで青函連絡船って言うのがあって四時間かけて北海道まで行っていたんですよ。ええ、わざわざ乗りに行きましたよ。懐かしいなぁ。
おっ、目的地が設定されているかどうかって言うのは大事か。シベリア鉄道って長大ではあるけれどはじめと終わりがあることを俺は知っている。どこからどこまでっていうのを書くとまた違う議論にはなるけど。
「なごり雪」では始点は設定されているけれど終点は設定されていない。目的地はシベリア鉄道より遙かに近いところにあるのは明らかなんだけど、問題は明示されているかどうかなのか。
目的地がないってところに何かを感じているのか。そういうことか。「風になりたい」「生まれくる子供たちのために」は『船物』これらには目的地は設定されてないじゃん。そういうことなのかな???
まぁ結局の所よくわからないです。感覚を言葉にするのって現実問題できるのかな???
さて、次のこゆい話。
昨日挙げなかったシンガーソングライター(今となっては死語なのか?)について。たぶん自分だけのピンポイントだろうなってのとたぶんみんな同じ思いなんじゃないかなってのが両方あるんで。
中島みゆき
「横恋慕」
『三つ編み』このキーワードが俺にとってこの歌の全てです。三つ編み!三つ編み!!まさにピンポイント。この言葉だけでもういろいろなことがよみがえる(笑)この歌を聴いて好きになったのはたしか中学時代のはずなんだけどね。全然歌の本当の意味はわかってなかったと思われ。
ここからが今日の本題です・・・
「時代」
歌詞検索サイトでヒットした「少女時代」が原由子名義だけでがっかりしました。斉藤由貴版もいいよ〜。
そんなことはともかくとしてですね。
「時代」
昨日今日と取り上げた歌の中で、あと百年生き残る歌はあるのか?もしあるとしたら・・・「時代」が最右翼だと思うんですよね。なんせ今まで30年生き抜いてきた信頼の実績があります(笑)次が「島唄」かな。他の歌もみんな好きだし歌い継がれて欲しいけどね。
ファンサイトなどを見てみると他の曲の方が評価高いようなのですが、一般的に見ると「時代」は中島みゆきの代表曲になっちゃうんじゃないかと思います。
まず、時の流れって言う昨日からのテーマに沿って考えると・・・考える必要ないですね。タイトル、歌詞、全てそのまんま。過去、現在、そしてこの先を歌っています。
この歌の歌詞を改めて思ったんですが、ものすごく抽象的です。そしてなぜか孤独感を感じる。希望に満ちあふれている様な気もするのに絶望感も感じる。物語ではないんですよ。具体性がまるでない。なのに、この歌を聞くと特定のシーンが思い浮かぶんですよ。しかもそれは一つのシーンではないんですよね。
俺がこの歌聞いてまず思い浮かべるのはなぜか自分がリアルでは知らない「安保闘争」です。たぶんテレビで安保闘争の映像を流したときのBGMが「時代」だったんだと思います。それが頻繁にあったのか、一度っきりだったのかわかりませんが、ものすごく印象に残っちゃっているんでしょうね。それ以外にも個人的な思い出とかもよみがえってくるわけですよ。
まぁその辺りは人それぞれだと思うのですが、もし大きな自然災害の映像のバックで「時代」が流れてきたらどう感じるか、あるいは政治家や某IT企業幹部の逮捕の映像のバックで「時代」が流れたらどう感じるか。
それはそれで『時代』を感じてしまうと思うんですよ。歌詞が抽象的だからどんな状況にもはまってしまうんです。歌が生まれた70年代の映像でなくてもかまわないんです。とてつもなくフヘン性があるんです。フヘンってカタカナで書いたのは「普遍」「不偏」「不変」そのどれにもあてはまるなと。今思いついたんですけどね。なかなかうまいこと思いついちゃいました。
どの時代にも普遍性を持ち不偏的に不変で存在する感覚が言葉になっている。それがこの歌の歌詞じゃないのかな。
この歌を聴くと、人生がもうすぐ終わりを迎える人も、これから輝かしい未来が待っていると思っている人も、負け犬人生を送っている人にも、成功者も、男も、女も、少なくとも今の科学ではコントロールできない「時の流れ」、この歌を聴くとそれを強烈に意識してしまうのではないかと思います。
今日の話書くのに歌詞を読み返してみたんだけど、改めてじっくり読むとこれはすごいですな。これだけで三日くらい書けそうだ(笑)おなか一杯です。
せっかく早く帰ってきたので早く寝なきゃいけないことを思い出しました。
買うのを忘れなければ明日はハヤテ外伝の感想を書く予定です。
おやすみなさい。