最終巻(12巻):美しき予定調和

まほらば(12) (ガンガンWINGコミックス)

まほらば(12) (ガンガンWINGコミックス)

サブタイトルに書いた言葉がすべてといっても過言ではない。これ以上語るのは無粋だということは承知している。しかし、あえて語る言葉を見つけようと思う。


私が完結していない作品についての読書感想文を書き始めて以来、最初に完結した作品がまほらばだ。この作品とであった時、すでに物語の趨勢は決していた。あとはラストシーンへ向けてひた走るだけという状況だった。
予想通り、今まで物語の中で活躍の場が少なかった灰原(あるいはジョニー)が物語の終焉で大きな役割を与えられていた。意外だったのはその役割をほかの鳴滝荘住民の総意の下で担っているという表現がされていたことだ。
蒼葉梢は統合された。しかし、分裂した各人格の特徴も統合された梢に受け継がれていることを示唆している。前巻ですでに表現されていることであるが、分裂したすべての梢が、早紀が、魚子が、千百合が、棗が、白鳥君を受け入れたように、統合された梢を白鳥君が受け入れるためには分裂した梢全員を受け入れることができなければならなかった。それを受け入れない限り、梢は統合されなかった。


漫画としてのまほろばを読んで感じることをもう一度書こう。作者、小島あきらさんは、絵だけで物語を紡いでいくことを最終目的にしているのではないかと感じている。一コマ一コマの絵に意味を持たせ関連付けていくことによって、言葉による説明が不要な物語というものが成立するのか、それは私にはわからないのだが、そういうものを指向しているように思えてならない。


この作品の事実上の最終話は第61話「いつまでも」である。物語に与えられたすべての課題はここまでで解決している。最終話「まほらば」は、読者への、そして作中人物へのサービスである。アパートものという基本的な設定が似ている「めぞん一刻」同様の構成となった。二つの作品には「場所の持つ力」を読者に意識させるという共通点がある。それはアパートものを読者が受け入れ、愛する理由のひとつなのではないだろうか。この場所ですべてが始まり、すべてが終わる。虚構の世界でのみ可能な設定である。「まほらば」という作品では、作中の言葉を借りると「ぬくい」世界がその場所を中心に構築されていた。そしてその世界を中心として登場人物たちは生き続けていく。


予定調和である。意外性はどこにもなかった。しかし、それは美しい予定調和だ。


最後に。
最終話で示唆されていることについて蛇足ではあるけれど書いてみよう。灰原が書いていた私小説、あるいは日記。「真秀場」。これがこの作品になったという虚構の入れ子構造が提示された。これは意外だった。
絵で表現する指向が強い作者が、文字で表現されたものでこの手法を使ってくるとは。あるとしたら白鳥君が絵本にするのではないかと思っていた。
登場人物の立ち位置的には、この世界を語る最適な人物は灰原である。絵のない表現手法で描かれたまほらば。それはそれで読んでみたいと思った。




読んだ翌日に総括するのはやはり難しいですね。
この作品については冷ましてからまた書くかもしれません。


とにかく、良質な物語を読むことができて幸せでした。



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