『涼宮ハルヒシリーズ』と『やわらか戦車』に見る『共犯関係』

日経BPの連載記事【ヒットの“共犯者”に聞く】の二期、ランティスのプロデューサーにインタビュー編が終わったので感想を書きます。


何度も繰り返していますが、『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメは幸せな作品だなと思います。しっかりした原作、その作品世界を完全に理解したスタッフ、ファンの眼力、そして、仕掛ける側が取ったリスク、それら全てがいい方向に転がったんだなと改めて感じました。
しかし、この裏にはうまくいかなかった事例が山ほど隠されているはずです。聞くところによると、今放映されているアニメは1シーズンで数十本にも及ぶらしい。その作品固有のファンという小さなパイから抜け出せない物がその中のほとんどなのではないでしょうか。
「悪乗り」というキーワードが出てきます。その言葉が意味するところを正確に捕まえているかはわかりませんが、私は「何もそこまでやることはないんじゃないかと言うところまでやってしまうこと」と受け止めました。例として出てくる第一話のあの歌、下手な歌を収録するために天然で下手に歌えるように細工をするなんて「なんでそこまで」と思ってしまう。そしてそれをみんなが受け入れおもしろがっている、すると受けてもおもしろがる、そんな良い循環が生まれていたんですね。


さて、話を変えて本題に入ります。
この連載のキーワードである『ヒットの共犯者』。改めて抜群のセンスだと思いました。それは先日話題になっていた『やわらか戦車』にまつわる話とのかねあいです。
ハルヒだって、仕掛けた側としてはそこそこ話題になり売れることを狙ってはいるのだと思います。それはやわらか戦車でも同じ事。あれだって私が知ったのはネットでですから。コアなファンはそれ以外のメディアで知ったんでしょうけれど、一般人にはネットを通して拡散したというのも同じです。なのに、なぜこれほどまでに受け入れられ方が違うのか?
それは、受け手との『共犯関係』が構築できたか否かの違いではないかと考えました。
つまり、ハルヒでは自分たちが騒いだことがヒットの要因となったと受け手が思った。自分たちがさらに騒げばもっとヒットが拡散すると思ってさらに盛り上げた。そういうスパイラルに入ったところで話題になり、話題に釣られた人たちもそのスパイラルに巻き込まれてしまった。
逆に戦車では、自分たちが知らないところで勝手に盛り上がっている。それを自分たちが知らない人たちがさらに盛り上げようとしている。自分たちには何も関係ないところで勝手に何かやっているのは面白くない。そういうスパイラルに入っているところが話題として拾われてしまったんです。
作り手が一種の共犯関係にあるというのはこの二つのコンテンツで共通している所なのではないかと思います。しかし、受け手が共犯か否か、そこが違った。


今日の記事ではコンテンツの内容にまで踏み込むことが趣旨ではありません。コンテンツ内容の評価は、主観に寄るところが大きいのでそれぞれ別の魅力があるという当たり障りのない言い方だけをしておきます。このサイトでは自分が気に入った物についてしか書かないので今まで何を書いてきたか見れば筆者である私の評価は自ずとわかるでしょうし…


この連載記事はまだ続くようです。次回も楽しみです。


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カテゴリ 涼宮ハルヒシリーズ


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