カミュ著 『異邦人』 人それぞれの「不条理」

「太陽が黄色かったから」
あまりにも有名で私でも知っている言葉、その言葉はずっと『異邦人』からの引用だと思っていましたが、何度か読んでみた限り見つけることが出来ませんでした。漏らしているだけでどこかに書いてあるのか、私の記憶が違っているのか、別の翻訳で書かれている言葉なのかはわかりません。とにかく自分が持っていた「常識的な知識」は誤りだった可能性があります。


この小説の主人公ムルソーは、自己という物を常に客観的に捉えているように思えました。客観的に捉えているからこそ、自分の肉親が失われても、自分が人を殺してしまっても、自分が死刑になるという状況になっても常に冷静でいられるのかなと。
肉親の死でどういう対応を自分が取ったかという事を考えると、主人公の対応は理解できます。肉親の死というよりも、病気などあらかじめ想定できる死ってのは意外と冷静でいられるし、今の日本のシステムでは冷静でいなければならないのです。本当の悲しみってのは人がいなくなってから、一人になってから襲ってくる物です。目撃者がいる間は、ことによると「冷淡」に見えるように振る舞わざるを得ないです。


肉親が死んだにも関わらず恋人を作り、恋人から結婚について問われても「自分はしたいわけではないけれどあなたがしたいのならしよう」という答えを返す主人公。そんな主人公が人を殺した時、その人間性が問われます。


これって私の感覚では不条理なんですけれど、みなさまはどう思いますか?
その人がどういう人であろうと、犯した罪によって裁かれるのが法治社会という場所だと思っているんですけど。うーん。どう捉えるのが正解なんだろうか?私の感想は世間一般から見てねじまがっているのかも。


この作品でページ数を費やしてえがかれている事の一つに「神」に対する考え方があります。2006/3/23に書いた『ダ・ヴィンチ・コード』の感想同様、この部分は多くの日本人にとって理解不能なのではないかと思いました。キリスト教というのが社会に根付いたフランスの人々にとってはものすごく衝撃的な場面なのかもしれません。しかし、クリスマスに浮かれ、神社に初詣に行き、寺で先祖の法事をするという典型的日本人と思われる行動をとる私にとっては、何も心に響かないのですよ。「ふーん」って感じ。残念ながら背後にある文化という物を理解しないとこの作品のその部分を真に理解することはできないのではないかと思いました。


最後に。
この本には長い解説がついています。おそらく、フランス文学に興味を持ち勉強する人にとっては非常に良い解説なんだろうと思います。しかし、私のように小説を「読み捨て」にする人間にとってはレベルが高すぎます。『異邦人』という作品を読んだだけでは理解できない解説です。真の読者であればこの解説を読んで他の作品に手を伸ばすということもありえるでしょう。しかし、私には難しすぎてこれからこの作者の作品を読み継いで行こうとは思えなくなってしまいました。
前々から書いていることですが、私は感想を書くのに極力他作品や他の人の解説、感想を引用しないように努力をしています。しかし、現実には難しい。この一文を書きながら、上の方で他作品引用をしていることに気づきました。

ここでまた例に引きたくなるのは『48億の妄想』です。なるほど、『異邦人』もあの作品の下敷きの一部なのかと勝手に思いましたがどうでしょうか?

こういう記述は『異邦人』だけを読んだ人には全く持って意味不明です。しかし、実際に自分の中ではその別作品を読んでいるからこそ生まれる感想というのがあるので書かないのもアンフェアな様な気がしてしまうのですよ。


実際に自分で感想を書いてみて思うのは、「初心者向けの感想はある程度本を読んでいる人向けの感想よりも書くのが難しい」ということです。自分の読書経験をひけらかすことなく、その作品だけに向き合わなければならないのですから。


2006/12にアップロードする古今東西名作感想文は、対象読者を中高生に設定しています。ある程度本を読んでいる人向けの感想文も満足に書けない人間が、中高生に納得してもらえるような物が書けるのか?不安と言うよりも書けない確信の方が強いです(笑)。
とはいえ、オトナの中にも感想文の一つもろくに書けない様なやつがいると言うことを知れば少しは気楽になるんじゃないかな?
うん。見事に自己正当化に成功した。よしよし。


異邦人 (新潮文庫)

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48億の妄想 (文春文庫)

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カテゴリ 読書感想文
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