ブログで大半の書き手は育ちます。

まなめはうすより
ブログは必ずしも書き手を育てない
勉強になります。
でも、自分の経験上、ここでの話は大多数のブログなり公開日記を書いている人にとってはレベルが高すぎるんじゃないかと思います。私にとっては届くかどうかわからないけれど目指してみようと思えるレベルですが、書き始めたばかり人にとっては手が届くとは思えない高いレベルの話じゃないですかね。

読者がその記事に対価を払ってくれるかどうかを気にしなくて良いので、読者の価値観を顧慮することなく、自分の言いたいことを好き放題に垂れ流せる。だが、受け手を意識しないブログをいくら書いても、それは書き手の技量を伸ばさないのだ。

この一節を読んで「うんうん、自分はまだまだだな」と思えるようになるまでが大変だと思います。私はそこに到達するまでに1年以上かかりましたから。


まず、日本語が上手に書けない所から話は始まります。日本語が書けなければ自分本位で身勝手な垂れ流し文章ですら書けないんですよ。それが今では妄想を垂れ流せる程度には書けるようになった。それはなぜか。大量に書いたからに他ならない。書くことに慣れたからに他ならない。
独りよがりの誰も読んでくれないような文章であっても、毎日、あるいは毎週、毎月少しずつではあってもなにかを書くことによって確実に日本語は書けるようになるはずです*1
それならば自分だけの紙日記でもいいじゃんと思われるかもしれませんが、公開していることによって「恥ずかしい」という気持ちが芽生えるのが大事。恥ずかしい物を公開しないようにしたいというのは後ろ向きですが大事なモチベーション(笑)。
で、そういう人の方がもともと日本語書く才能を持っている人よりも遙かに多いと勝手に判定しました。サイレントマジョリティの声が脳内に響きました。だったら大半はブログで育つ書き手だろう。そういう乱暴な理屈です。


まずは、とにかく何でもいいから書けるようになる。そこまで行って初めて自分が考えていることを人に伝えるにはどうすればいいかとか、自分が書いた物をどういう人に読んでもらいたくてそのためにはどういう書き方をすればいいのかとか考えればいいと思います。
ブログなり公開日記なりをはじめる人が、今日紹介した記事を最初から意識して書くのはハードル高すぎると思います。もし私がここに書き始めた頃にこの記事を読んでいたら盛大にへこんでしまって書くのやめていたかもしれません(笑)。
ああ、ブログとか書いている人はこういうレベルの人ばっかり何だな、俺には無理だなぁとかおもっちゃってた。
たかが日記なんだから、言いたいことが伝わらなくても自分の中で*2相手にせいにしておけばいいんじゃないですか?いずれ他ならぬ自分自身がその状況に満足できなくなった時、改めて考えればいい話です。


趣味でやるなら楽しまないとね〜。

*1:日本語と書いているけれどどの言語でもこの辺は一緒何じゃないかなぁ

*2:これ大事。表に出すとトラブルで痛い目にあうかもしれないから。