西沢歩 「普通少女」の存在意義

別に今日である必要はないというかむしろ悪いタイミングのような気もするのですが今日でなければ書けないような気がするので今日書きます。


この登場人物をきっかけに『ハヤテのごとく!』という漫画を知ったというのもあって、「西沢歩」、愛称「ハムスターまたはハム」というキャラクターにはそれなりの思い入れがあります。先週書こうと思ったのですがどうもうまく考えがまとまらず断念しました。今でも考えがまとまっていないことには変わりはないのですが、書くことによって方向性が生まれることもあるので試しに書いてみます。


まず、『ハヤテのごとく!』という漫画のラブコメ的な流れを書いておきましょう。あくまでも私が捉えている流れなので、この記事を読んだ方の中には異論があると思いますよ。そういう風に書きますから。

  • 1.「お嬢さま」が「主人公」に恋をする。
  • 2.「主人公」は「お嬢さま」の「保護者」に憧れる。
  • 3.「主人公」は「お嬢さま」のことを子供扱いしていて恋愛対象にはしていない。
  • 4.「保護者」は「主人公」のことを意識するが「お嬢さま」がいるために表面化はしない。←いまここ。そして当分ここ。
  • 5.「お嬢さま」が成長する。
  • 6.「主人公」は「お嬢さま」を女性として意識する。
  • 7.「お嬢さま」は「保護者」から独り立ちする。
  • 8.「保護者」は「主人公」に対する思いに気づく。
  • 9.さて、どうなることやら…。



この流れには決定的な弱点があります。「お嬢さま」の成長です。作者自らが

特にこの漫画はアニメに向いているようで実はあまり向いてない
ので、なかなかアニメスタッフの方々も苦労している感じです。

とバックステージで語ってましたが、私から見ると、「漫画にも向いていない」と思えます。
中盤省略手法を使うのならいいのですが、どうも作者はそうはしたくないらしいです。日常の出来事を淡々と描きたいという意欲が見て取れますし、それは正解でしょう。正解だけれど異様に難しいですよ。絵で読者がわかるように徐々に変わっていく人間を描かなければならないのですから。それも一人ではないわけで…。
この物語は小説向きだと思います。なので、畑健二郎さんが小説を書いてみたという話をインタビュー記事で読んだ時ものすごく納得しました。でも、小説では難しい要素も入れ込んでいますからやっぱり漫画以外のメディアでは発表できなかった作品だよな。特に私が捕まったギャグは小説では無理かも。


表題に全く関係ない話になっていますね。いつものことです。気にしない。


なんで今さらラブコメの流れなんかを持ち出したのかというと、今日のテーマ「西沢さん」も人気キャラの「ヒナギクさん」もここには絡んでこないからなんですよ。実際には絡んでくると思いますよ。でも本流ではない。ラブコメとしての本流はあくまでもナギちゃんとマリアさんの葛藤だと思っています。しかしそれが顕在化するのは私の予想では作中で3年近く経ってからです。「西沢さん」と「ヒナギクさん」それぞれが主役のラブコメはそれまでのつなぎだと思っているんですよね。別の漫画になるはずの物語です。


ここまでが前置きです。前置きの方が長いかもしれません。これも相変わらずです。こういうところが畑健二郎さんと私がシンクロしているかも?と思えるところなんですよねぇ。傾向が似ているような気がしてなりません。先ほどの流れで言うと5までは前置きだと思っているので…。この漫画のラブコメとしてのコアは6以降だと思います。そこが生きるのは5以前があるからだということが最後まで読めばわかるはず。


「西沢さん」は「普通」という属性が与えられています。漫画においては「普通」という属性は最も異常なキャラクターであることを示しているということは前にも何度か書いていると思います。「普通」キャラは特にギャグ漫画でその威力を最大限に発揮します。「異常」な登場人物たちとはずれた行動ができるからです。漫画の中では「異常」が普通であって、「普通」は異常なんですよ。そして多くのギャグ漫画では「普通」な登場人物が徐々に「異常」な世界に染まってしまいます。そして、それはギャグ漫画としての寿命が迫りつつあることを意味しているように思えてなりません。「西沢さん」にも残念ながらその傾向はあるのですが…。
でも、私は「西沢さん」が最後の最後まで自分の世界を持ち続けていられるように思えてなりません。前に書いた言葉で表現すると「歩の世界」は「ナギの世界」に同化する事は無いと思っています。
その根拠は4巻の登場人物紹介、西沢歩の項での作者の言葉です。

しかしその普通さがやがて物語において
とても重要な意味を持ってくる……はずです。予定では。

2005/11/18〜2005/11/27の長文はこの言葉を読む前に書きました。なので書いては見た物の根拠無しの思いつきかなぁと思っていたんですよ。作者の言葉で裏付けが取れた。
「普通さに意味を持たせる」という発想は『ハヤテのごとく!』という漫画を支えている柱の一本でしょう。
ナギ・ハム・ヒナの三すくみ構造は強弱だけでは無いと思っているのですよ。この三人はお互いに憧れ合う間柄になるんじゃないですかね。普通の少女が大金持ちのお嬢さまや才色兼備の生徒会長に憧れるのは当然ですが、その憧れの対象となっている少女たちにとっては、むしろ普通の少女に憧れてしまう。そういう構造です。
女の子が主人公で男性向け雑誌に連載されていた、『YAWARA!』や『Happy!』では、特殊な力は持っていたわけですが西沢さん的な女の子が主人公だったんですよね。ライバルにお嬢さまがいたりして。少女漫画のことはよく知らないので古い話*1になってしまいますが『ガラスの仮面』も最初はそんな感じだったはず。
それらの作品ではお嬢さまとのライバル関係の中で才能が開花していったり表に出すようになっていくのですが、『ハヤテのごとく!』では普通少女はあくまでも普通少女であって、むしろライバルの存在でその普通さこそが得難い特徴であるということを示していくのではないかと思っています。


もう一点。
「西沢さん」は主人公を元の世界につなぎ止める役割も持っていると考えられます。これも『ハヤテのごとく!』という漫画が持っている異常性の一つなのです。この漫画では主人公は物語が始まる前の人間関係をある程度維持していて、かつそれが描かれています。異世界に放り込まれる形の漫画では意外と珍しいと思います。それが自然にできるのは「西沢さん」がいるからに他なりません。彼女は普通の生活をしていて普通の学校に通っているのですから。彼女との接点がある以上、主人公がかつて身を置いていた「普通の世界」と接触があるのは当然なのです。




普通の少女。かつて『めぞん一刻』でそれなりの人気がありながら見事にフェードアウトした「七尾こずえ」、ギャグ漫画の中でその正常さ故に最も異常なキャラを演じている『さよなら絶望先生』の「日塔奈美」。
西沢歩」はどちらかの道を作中で歩むことになるんでしょうか?それとも、新しい「普通少女」像を呈示することになるのでしょうか?


西沢さんはあまり活躍しない10巻は2/16(金)頃発売予定

ハヤテのごとく! 10 (少年サンデーコミックス)

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関連記事:
2005/11/27 「トゥルーエンド」
2006/5/14 西沢歩さん誕生日


追記:
殿下執務室2.0 β1 西沢さんの、ヒロインへの遠き道。
やっぱりそうなんですかね。ヒナギクさんがヒロイン属性持っているって言う話は作者もしているけれど、実は西沢さんの方が強烈なヒロイン属性持っているんですよね。大金持ちのお嬢さまや完全無欠生徒会長というライバルがいる中、恋を実らせる物語のヒロイン。ヒロインというか主人公ですよね。6巻7話のサブタイトルで作者がネタバレしてますけど。

「ドキッ☆ 憧れの人は私の執事!?という少女まんがの新連載1回目」

ですからねぇ(笑)。
でも、主人公でもヒロインでもないところが難しい。
この漫画では最後に主人公とくっつくのがヒロインって言うわけではないから、何を持ってヒロインというのかが難しいんですが、最終的には「ヒロインはナギとマリアさんだったな」と思える様になると思います。例えラストシーンが三人の別れであっても…。たとえハヤテ君が西沢さんと手をつないでいても…。
西沢さんが今後も普通で有り続けるのなら「ハムエンド」の目はあります。そしてたぶんそういうデザインがなされていると思うので、もし主人公と誰かがラブコメ的エンディングを迎えるのなら「ハムエンド」の確率が一番高いと思うのですよ。だって、彼女の世界は主人公が元いた世界ですから。

*1:といっても今でも連載続いているけれど