「スーパーハイブリッドコミック『ハヤテのごとく!』」(暫定版)
2007/2/22 追記
この記事は小一時間で書いたのですがやっぱ納得いかない。内容は変えずにリライトしたいと思っています。近いうちに…。とはいっても、それなりにまとまった時間が必要になると思うのでちょいと先の話になるかも。
2007/3/21 追記
書き直しました。たぶん2007/3/24(土)にアップロードすると思います。このサイト的には異様に短いです。このサイト的にはです。十分長いんじゃないかな?テキストのファイルサイズは合計35Kbyte程度です。
2007/3/27追記
結局2007/3/25にアップロードしました。
『ハヤテのごとく!』が拓く物語の新千年紀 「スーパーハイブリッド構造」とは何か?
はじめに
この記事ではこのサイトに今まで私が書きためていたことの説明を試みます。ベースとなっている主要な記事をご紹介します。
- 2005/11/18〜2005/11/27の記事(2005/11/27「トゥルーエンド」からリンクでたどれます。)
- 2006/8/7 「勝利宣言」
- 2007/2/16 『ハヤテのごとく!』マルチシナリオシングルエンディングというシステム
ハイブリッド
この記事の見出しにも使った「ハイブリッド」という言葉について説明する必要があります。おそらく多くの人が「トヨタプリウス」をはじめとする「ハイブリッドカー」を思い浮かべるでしょう。この記事を読む時にもそれをイメージして頂ければと思います。
「ハイブリッドカー」はガソリンと電気の両方のエネルギーを、それぞれモーターとエンジンを介してタイヤに伝え動いています。この記事では、モーターとエンジンにあたるものが「シナリオ」だと考えて下さい。元となるエネルギーは作者の才能です。今回の記事ではそこには触れません。
シリーズとパラレル
漫画とは関係ない若干マニアックな話になります。一般にハイブリッドカーのシステムとしてはパラレルが使われています。時と場合に応じて出力元をエンジン・モーターのいずれかに切り替えてでタイヤを駆動します。エンジンは駆動以外にも発電という役割も持たされています。
それに対し「シリーズ」という方式では、エンジンは発電に専念し駆動はモーターのみが担当します。私が知る限り、その仕組みを持った自動車は市販されていないと思われますが、鉄道のディーゼル機関車では一般的に使われる形式の一つです。確か、JR北海道の主力ディーゼル機関車はその世界では「電気式」と言われる「シリーズ」式だったと思います。
スーパーハイブリッドコミック『ハヤテのごとく!』
『ハヤテのごとく!』という漫画は、「パラレル」方式と「シリーズ」方式を併用したハイブリッドコミックです。さらにこれはコンピュータ用語からの引用になりますが、「スタンドアロン」方式も混ざっています。
『スーパーハイブリッドコミック』という説明がぴったりです。
この漫画で最初に目立つのは「スタンドアロン」方式です。簡単に言えば一話から数話で完結する話のことです。それはそれで完結していて、その話が終わったらまた別の話が「スタンドアロン」方式で展開します。
2007/2/16に書いた『ハヤテのごとく!』マルチシナリオシングルエンディングというシステムで私が指摘したのは「パラレル」方式でもあるということです。ハヤテ、ナギ、マリアさんの3人をメインとした話だけではなく、ヒナギクさんをメインとした物語も存在した。だからまだ序盤にもかかわらず読者は98話(10巻2話)を感動した、そういう論旨でした。もちろんヒナギクさんにだけ別の物語が用意されているわけではなく、ワタルや西沢さんの物語にも感動的なエンディングが用意されているはずです。
そして、今日。
わかりました。
『ハヤテのごとく!』という漫画は「シリーズ」方式の物語も用意されています。98話(10巻2話)でヒナギクさんの物語は一度終わりましたが、終わると同時に彼女が主人公の別の物語が始まったということは前にも書いたと思います。しかし、その意味がわからかなった。それは「パラレル」方式と「シリーズ」方式を併用している事に他ならないのですよ。
そして、そう考えると、私が感じてここに長文という形で表現してきたことのほとんどがロジカルに説明できてしまうように思えるのです。
まずは前提となる考え方を怪しげなアスキー図表を使ってみましょう。うまくいくかな?
ヒナ----------------||---------------
↑ ↑ ↑
↓ ↓ ↓
西沢-----------------------||--------
縦棒2本が物語の終わりと始まりを示しています。上下矢印が互いの物語が影響を与え合うタイミングです。場所はいい加減です。
ヒナギクの物語の終焉とは関係なく西沢さんの物語は続いていますがヒナギクの物語は西沢さんの物語に影響を与えます。さらにはその時の西沢さんの物語のステイタスがヒナギクさんにも影響を与えます。で、西沢さんの物語の終焉は根本的にはヒナギクさんの物語とは無関係にやってきます。しかし、ヒナギクさんがあるステイタスになってなければ西沢さんの物語が終焉することはない、そんな仕組みをイメージしています。
ここではわかりやすい二人を例に出しましたが、全ての登場人物で同じ事が起こっていると思っていいでしょう。とてつもなく複雑ですよ。
では私が書いてきたことの代表例をロジカルに説明してみましょうか。論理破綻しているかな。全く寝かせていないからちょっと不安です。
- 物語に決められた終わりがあると明かされて衝撃を受けた件について
終わりがあることは19話(2巻10話)「使用人たちの夜」をはじめとして3巻までの間にいくつも示唆する話がありました。少なくとも「使用人たちの夜」は終わり方をイメージしていないと書けない話ですよ。読者のエンディング予想をことごとくつぶしていますから。
大事なのはそれに気づいたにも関わらず興味を失わなかったこと。さらには作者からそれが明かされた時にものすごい衝撃を受けたことです。それがなぜなのかわからなかった。
今はわかります。
先ほどの縦棒2本を全員分合わせるのはまず無理だと思ったんですね。きっと。だから終わりが決まっているのに最後どうなるのかさっぱりわからなかった。
- 物語の柱がない件について
これも同じ話。そもそも全員が主人公になりうる話で、全員があるタイミングで最終回を迎え、その後も登場する話です。柱なんて無いんですよ。柱が無いのはなぜだろう?という疑問を先送りしてましたけれど答えはあった。彼ら彼女らは虚構の世界の日常を生きているんですよ。柱となるきっかけでみんなが一斉にあることに気づくなんていううまい話はない。
- なぜ「終わりの日付が決まっている」事が予想できたかという件について
全員の物語終了日を合わせるのはまず無理。ということはストーリーとは全く関係ない要素で物語を終わらせるしかない。この漫画でそれができる要素は何か?
日付しかないでしょう。
これだけ前面に押し出しているんだから。
その日に縦棒2本になるのはもしかしたらハヤテとナギとマリアさんだけかもしれません。その3人が同時に物語の終焉を迎えるかもあやしい。それでもいいんですよ。そして、そんな終わり方をしたら切なくてたまらないですよ。恐らく登場人物のその後を描く2次創作があふれると思うね。そしてそれは作者も望んでいるような気がしてならない。『ハヤテのごとく!』はある日付までの物語。その後は読んだ人それぞれが自由に想像を膨らませる事ができる世界が待っています。
この仕組みはアニメには絶対向いていないです。それどころか漫画にも小説にも向いていない。ただ、私がそう思うのはまだそういう話を読んだことがないからかも知れません。たぶん、それが、
- 『ハヤテのごとく!』は今後生み出される世界中の創作物に影響を与える
と感じたところでしょう。
ギャルゲー・エロゲーという文化がなければこの仕組みが生まれることは決してなかったはず。
コメント欄でこのサイトで書いた言葉を引用したいといううれしい言葉をいただきました。この記事を書くにあたって作った「スーパーハイブリッドコミック」という言葉もイケてると思ったら使ってください。商用非商用問いません。極端な話小学館に使われてもOK(笑)。そのかわり必要最小限の引用とかは許してほしいなぁなんてね。本文を引用元を明記せずに使われたりすると大人なのでいろいろと思うところがあったりするかもしれませんが、自分が作った言葉が使われるのはむしろうれしいことです。
ついに、というか、ようやくここまで来ました。これで安心して感想が書ける。<今までの感想は何だったんだと突っ込まれそうだ(笑)。
バックボーンがなかったからつらかったのよ…。
パラレル、シリーズ、スタンドアロン、その全ての方式を内包した物語。さらに、バトル、ラブコメ、成長、ギャグ、それら全ての要素も内包した漫画。
それが「スーパーハイブリッドコミック『ハヤテのごとく!』」です。