『ハヤテのごとく!』が拓く物語の新千年紀 「スーパーハイブリッド構造」とは何か?

「スーパーハイブリッドコミック(Super Hybrid Comic)」
この言葉は私が『ハヤテのごとく!』という漫画を説明するために作った言葉である。この言葉を得て、ようやくこの漫画の全貌が見えるようになった。この記事ではこの言葉の説明と、それによってどういう効果が得られるのかを極力簡潔に説明したい。



ハイブリッドとは

ハヤテのごとく!』という漫画は全くとらえどころがない。ギャグ漫画かと思えば感動的な場面が訪れ、ラブコメかと思えば突如としてSFチックなバトルが展開される。この漫画を既存のジャンル・カテゴリに当てはめることは不可能である。
この記事で使う「ハイブリッド」とはトヨタプリウスをはじめとする「ハイブリッドカー」の「ハイブリッド」と同義である。自動車の場合は内燃機関と電気モーターという複数の動力源で車を動かすことをハイブリッドと呼んでいる。


この漫画では、無数のストーリーが同時に進行している。登場人物それぞれに物語が用意されているのではなく、登場人物それぞれに複数の物語が用意されている。それらはある物語が終了しないと次の物語に進めないこともあるし、並行していくつかの物語を進行させることが可能なこともある。自動車などのハイブリッドシステムになぞらえると、並行して進む場合がパラレル方式、順序立てて場合はシリーズ方式ということになる。ある登場人物のある物語の終了がその物語の主人公の次の物語が始まるトリガーになることがある。そればかりか、ある物語の終了が別の登場人物の新しい物語の開始を告げるファンファーレになる可能性も秘めている。単なる物語の集合体ではない。無数の物語が相互に関係しあっている。それが『ハヤテのごとく!』という漫画だ。
それぞれの物語は属性が異なる。サクセスストーリーもあるしラブコメもある。少女漫画のような話もあれば最強を目指すバトル物要素もある。それがこの漫画を一つのジャンル・カテゴリに分類することが難しいこと、また、通常の物語よりもはるかに先が読みづらくなっている理由でもある。
恐ろしく複雑で凄まじく緻密。しかし、それだけではない。スーパーハイブリッド構造によって前代未聞となる物語の自由度が発生している。緻密なのに自由。これは物語というものの概念を根本的に揺るがす物であると私は考えている。『ハヤテのごとく!』の手法を使わない限り表現できなかった物語が今後世界中で数多く生み出されるはずだ。
一点だけ危惧がある。このシステムを利用できる才能は極めて限られているのではないか思われることだ。莫大な創作力を持ち、物語をなんとしてでも終了させようという強靱な意志を持つ極めて少数の創作者だけがこの漫画のシステムを使い別の作品を作り上げる事が可能なのかもしれない。しかしそれは杞憂に終わるかも知れない。『ハヤテのごとく!』という作品、畑健二郎という漫画家が進む道をトレースすることによって理解する人が増えれば、広く一般にこの方法が使えるようになる可能性も十分ありえる。


ハヤテのごとく!』の作者、畑健二郎、及び編集担当者などスタッフがこのシステムを生み出したのは偶然ではないかと考えている。週刊少年漫画誌という日本独特の極めて厳しい発表環境を持つメディアにおいて、極力長期間連載を続けるために複数の物語を同時に進行させようというアイディアがどこかで生まれた。作者がこれを思いついたのだとしたら、ゲームから極めて強いインスピレーションを受けていると思われる。そして、その要求に応える才能を持つ作者がいた。さらに、後述する極めて自然なのに極めて独創的な「終了条件」。その全てがそれぞれに影響を及ぼし渾然一体となり、主流となる可能性を秘めたこの構造が生み出されたと考えている。



ハヤテのごとく!予定表.xls」

作者から存在を明かされている表計算ソフトで作成された予定表。それが「スーパーハイブリッドコミック」を支えている。この予定表が存在しなければこのシステムは機能しない。
以下に私が推測するこの予定表のフォーマットを呈示する。






高画質版は私が管理する別のサイトにアップロードした。
ハヤテのごとく予定表.xls(想定)
ワークシートは4枚。
まずは年表。これが基本になる。もしかすると本物はここに全ての情報が記述されているかも知れない。
次にイベント。ここにポイントがある。日付指定イベントと日付が動かせるイベントが用意されている。作者が「当初の予定では…こんなはずでは…」と言っているのはイベントの日付がずれてしまった時だと推測している。しかし、日付が決まっていないイベントというのも存在する。また日付が決まっていても結果的に動かすことが可能なイベントもある。
日付が決まっていて動かせないイベントの代表例は誕生日がらみのものであろう。
3枚目がストーリー。このシートが存在すれば毎週のようにメンテナンスをしているはずだ。ここには様々なストーリーとそれを描くのに必要な登場人物が記載されている。どうしてもはずせないストーリーもあれば余裕が有れば、あるいは人気が出て連載を引き延ばす必要が有れば描くストーリーもある。ストーリーとイベントとは密接に絡み合っているので、イベントシートには記載しなかったが、そちらにも必須か否かが記載されている可能性が高い。
4枚目は登場人物ごとのストーリー展開。これが登場人物間で同期していないからこの漫画はややこしいのだ。『ハヤテのごとく!』という漫画のスタートと西沢・ヒナギクの物語とは全く同期をしていないのが今の時点でもよくわかる。
この表が作者の手で実際に連載中に公開される事はありえないと考えている。しかし、当たらずとも遠からずではないだろうか。当初はもっと複雑な物を想像していたが、才能さえ有ればこの程度でもこの物語を作ることは十分可能だと思い至った。


それぞれの物語にはそれぞれの属性がある。バトル主体の物語もあればラブコメもある。サクセスストーリーもあるかもしれないし泣かせる話もあると思う。そのどこに引っかかってもこの漫画を面白いと思ってしまう。好きになってしまう。あるいは気になってしまう。だから人によってこの漫画を読んで受ける印象が全く違う。さらに、このファイルでは表現することはできないが、ギャグ漫画あるいは萌え漫画という要素もある。パロディもある。そこうちどこに引っかかってもいいのだ。まさに何でもあり。人によっては退屈に思える場面が、別のある人にとっては求めていた場面になる。それがこの漫画の構造である。人によって分類するジャンルが変わってしまう。今までの漫画が積み上げてきた要素をほとんど全て取り込んだ漫画だ。全てを取り込むためにこういう構造になっている。あるいは全てを取り込もうとしたらこういう構造を持つに至ったというべきか。


この表には基本的なストーリー、イベントのみが書いてある。毎週の話はこの表とは独立して考えられていると思って差し支えない。その週で描くべき話とこの表を合わせてその週の漫画になっている。一話完結であろうが数話に渡る話であろうがこの手法に変わりはない。だから一話に複数の要素が入っているのは当然である。むしろある一つの要素のみしか見えない場合、そこに何らかの罠やメッセージが隠されていると考えた方がいいだろう。この漫画は普通の構成ではない。スーパーハイブリッド構造から時間を切り取って短い話を毎週作ってる。そう考えれば今までの混乱にも合点がいく。


今回公開した表は一読者である私が作成した物だ。実際に作者が作った物ではない。おそらく本物にはクリティカルパスが存在する。ここでのクリティカルパスという言葉は一般的な意味とは若干違い、「このイベント・ストーリーを通過しなければトゥルーエンドに到達し得ないという条件」のことを指す。
こうしている今もこの予定表は更新され続けているかも知れない。あらかじめ全て決まっているわけではない。変化しながらもある特異点を目指す、その作業を補助するために「ハヤテのごとく!.xls」は存在している。



「スーパーハイブリッドシステム」の弱点

「スーパーハイブリッドシステム」には弱点がある。それは、物語の終わりが見えないことだ。ある物語が終わっても別の物語は何事もなく続く。それがこのシステムだ。『ハヤテのごとく!』という作品では、その問題は解決済みである。


日付によって物語は終わる。


極めて自然な発想である。
しかし、これは独創的だ。
ある日付・時刻までに何かをしなければいけないという物語があることを私は知っている。しかし、『ハヤテのごとく!』ではそれはまだ呈示されていない。読者の予想は数年の範囲で分かれているくらいだ。
この作品では、「いついつまでになにかをしなければいけない」ということを作者だけが知っていて登場人物は知らない。もしかすると、作者と読者は知っているけれど登場人物は知らないと言う状況が生み出されるかも知れない。
そして、それを本当にこなせるかどうかは作者もわからない。登場人物たちは細かい物語を着実にこなしつつ仮想現実内での日常をこなすことによってその日を迎える。
そして、その日には、間違えなく読者を号泣させるような場面が用意されている。仮想現実での時の流れがあたかも自分が過ごした時間のように感じられてしまい、楽しかったこともつらかったことも走馬燈のように流れるはずだ。
「時の流れ」はそれだけで人を感動させる力がある。
本筋がないスーパーハイブリッドコミック『ハヤテのごとく!』の本筋は日付である。時の流れを描くことがこの作品の根幹である。そして、それは読者の前にあからさまに呈示されている。
この作品はタイトルでそのテーマを明かしている。



「スーパーハイブリッド構造」は世界を変える

できることなら避けて通りたい話題である。しかし、私は以前書いてしまった。
ハヤテのごとく!』は文学史的に見ても大きなインパクトを与えると。
なぜ私がそう直感したのか?その理由も「スーパーハイブリッドコミック」、あるいは「スーパーハイブリッド構造」というキーワードで説明可能である。
これを書くことに迷いがあるのは、私が文学論という学問に無知だからである。私の文学論的な話の情報源は主に筒井康隆氏の著作であり、しかも筒井氏の言葉を理解できているとは思えない。誰かの意見の丸飲みや受け売りですらない状況だ。特に専門的に研究している方がこの段落を読む時にはそのことに注意を払って頂ければ幸いである。あなたがたにとっての常識は私にとっての非常識かもしれない。


さて、文学論的には、構造を持つ物語などは古い物だという認識があるように私は理解している。批評する側も物語の構造を破壊しそのエッセンスのみを取り出そうと苦悩しているように思える。その論法で言うと「スーパーハイブリッド構造」を持つ『ハヤテのごとく!』という漫画は古い構造を持つ古典的な作品ということになるはずだ。しかし、私の感じたそもそもの違和感も実はそこにある。
この漫画は既存の物語と同じ読み方ができない。
「スーパーハイブリッド構造」というのは恐ろしく緻密で複雑な構造だということは図表を用いて簡単に説明した。しかし、読者からはあまりに緻密かつ複雑であるが故に、構造が崩壊しているように見えてしまうのだ。物語の背骨が見えない。例えば、これは多くの読者が感じていることだが、誰が主人公で誰がヒロインかという基本的な事柄ですらも作中だけからでは読みとることができない。作者の言葉で確認をしている。しかし、作者は明確に主人公やメインヒロインは設定している。そればかりか唯一無二ラストシーンのイメージがあることを「トゥルーエンド」という言葉で明かしてくれている。こんな作品が他にあるだろうか?
つまり、極限まで構造化したが故に構造が崩壊し(たように見え)、結果的に構造が無い(ようにみえる)物語ができあがってしまっているのではないか?そして、これはもしかすると名だたる文学者が目指し、挑戦してきたことなのではないだろうか?それがこの『ハヤテのごとく!』という作品で図らずも具現化してしまったのでは無かろうか?そう考えるとこの漫画を読んだ当初私がさいなまされた違和感をきれいに説明できるのである。


今までの本の読み方が『ハヤテのごとく!』には通用しない。それは当たり前だ。「スーパーハイブリッド構造」によって物語の構造が崩壊しているからだ。非常に難解な作品なのである。


驚くべき事はこの作品が商業的に成功しているということである。実験作は通常売れない。一部の好事家の目に止まるだけである。一般読者から理解されない作品が高尚で新しいというようなイメージすらある。「失敗作ということを度外視すれば成功」などというわかったようなわからないような評価を受けることもある*1。しかし、『ハヤテのごとく!』は売れている。漫画という売れやすいメディアで発表されているということを考えに入れても売れている。これはいったいどうしてなのか?もちろん異様に読解力が発達した*2いわゆる「オタク」層がいる日本で生まれた作品と言うことは考慮しなければならない。それにしても売れすぎている。そして私はこれからも売れ続け、商業的にかつて無い成功を納めるとも予想しています。それはなぜか?
組み合わせの元となっている物語は人々に理解されやすい昔ながらの筋立てを持っているからだ。そのストーリーだけを追うことも可能だからだ。そしてそのストーリーが感動的に描けているからだ。
さらにもう一つ、誰もが本能的に感動する「時の流れ」という要素がバックボーンとしてあるからだ。


読者は「なんともいえない違和感」という形で新しい物語が生まれることを肌で感じている。そして、いつのまにか受け入れる。新しい時代の波に飲まれてしまう。本当の革新は目立たない。何が新しいのかすぐにはわからないことが多い。気がつくとそれがスタンダードになっている。そういうものなのだ。


一度この味を知ってしまった読者はもう戻れない。




まとめてみよう。『ハヤテのごとく!』という作品では、極端に緻密な「スーパーハイブリッド構造」を取ることによって、逆に物語全体の構造が破綻し、それによって背後にある「時の流れ」が浮き上がるという現象が起きている。


そうでなければ、終了条件が日付であることに誰も気づいていないはずだ。ほとんどの物語に当初から用意されている終了条件がこの作品の場合全く見えなかった。それは構造が崩壊しているから。そして構造が見えないことによって根元的なテーマが図らずも作中で示唆されていたということになる。
繰り返し書く。
ハヤテのごとく!』という漫画は「時の流れ」を描く漫画である。少年少女の恋や借金などはそのための手段に過ぎない。なぜか?なぜそう思うのか?終了条件が日付だからか?それもあるがこの作品のタイトルが『ハヤテのごとく!』だからだ。作者は最初からそういう作品を作り上げたかったのだ。そして、結果的に、今まで多くの文学者が試みた物語構造の破壊と再構築を『ハヤテのごとく!』という作品で具現化してしまった。しかも、この作品は商業的にも成功する=多くの人に読まれるのである。難解な作品、新しい手法に挑戦した作品は一般には受け入れられないという既存の概念は崩れ去った。今後自分の作品を売るためにこの手法を取る創作者が現れる可能性も十分あり得るのだ。


「スーパーハイブリッド構造」とそれによる「物語構造の崩壊」は、評価されず、発表の場にも恵まれなかった才能ある青年が、「時の流れ」そのものを描くという野心的な作品を産み出そうとしたときに起こった奇跡だと思える。ただの奇跡ではなく、日本に根付いた文化、作者の才能、発表を許された環境、受け入れた読者、その全てがそろって初めて起こった奇跡。我々は今その現場に立ち会っている。そしてそのことに気づいている人は、まだ少ない。






今はまだこのサイトに書かれている言葉を読んで嘲笑う人がいるかも知れない。しかし、この作品で衝撃を受ける人は世界中に多数出現するはずだ。そのためには適切なプロモーションをして作品の持つ力を最大限に伝える努力をしなければならない。『ハヤテのごとく!』という化け物のようなコンテンツを図らずも手に入れた小学館の責任は重い。ちょっとしたつまずきで未来は変わってしまうかも知れない。


かつてない構造を持ち、かつてない感動をもたらすことが約束されている漫画。物語の新千年紀を拓く作品、それが『ハヤテのごとく!』である。



*1:出典が手元にないので明確にできませんが筒井康隆氏の『虚構船団』か『虚人たち』への評価でこういう言葉があり作者も納得したという話を読んだ記憶があります。

*2:リンクしている漫画感想サイトがいい例でしょう。これだけの数の話を毎週感想が書けるレベルまで読んでいる人はそう多くはないはずです。数をこなせば読解力は確実に上がると考えています。