迷走の過程、将来の期待

推理小説が好きです。特に名探偵物が好きです。最後に謎をきれいに解決する場面がたまらなく好きです。『ハヤテのごとく!』について1年以上考えてみて名探偵の気持ちが少しだけわかりました。具体的に言うと、島田荘司氏が創造した御手洗潔の気持ちがわかりました。
材料は最初から全てそろっていた。そのことにははじめから気づいていた。しかし、それが答えだとは気づいていなかった。僕はバカだ大バカ物だ笑ってくれ!ここまでわかれば説明は石岡君もできるだろう?簡単な話さ。何でわからないんだこんな簡単なことが。
そんな気持ちです。
これを書くと詳しい人から反発を食らうことはわかっているんだけど書いてみます。内容はよくわかっていないアインシュタイン博士が呈示したE=MC2って式ありますよね。あれって素人目に見るとものすごく単純です。なんでそうなるのかはわからないけれどそうなるんだと言われればそうなるんだねって理解できる。科学者はこういう物を見つけ出したいんじゃないかなぁと勝手に思っていたりします。そこに至る過程は難解でも結論は誰もが簡単に理解できる物が自然界にはまだ隠れているに違いないと思っているんじゃないですかね。それを見つけた時の気分が今は何となくわかるような気がします。


2007/2/21。コミックス11巻収録予定の116話を読んで、ついに自分の直感を説明する言葉を見いだしました。その週のバックステージを読む前。ギリギリのタイミング。バックステージを読んでから書いたのでは自分の満足度が違った。
私にとってのゲームは終わりました。もう、そう断言してもいいでしょう。この漫画になぜこんなにまで惹かれたのか、なぜ面白いと思ったのか、なぜ先が読めなかったのか、なぜ売れると思ったのか、なぜ後世に影響を与える作品になると思ったのか。その理由は『ハヤテのごとく!』という漫画が「スーパーハイブリッドコミック」だからです。


2部はいつもと違う雰囲気で書いたので疲れました。なんで、3部ではいつもの調子で書きます。脱線したり全然違う話に飛んだりするはず。


そうですね。まずは2部の見出しについて説明しましょうか?
インパクトのある見出しを付けたかったんですよ。でも「スーパーハイブリッドコミック」というキャッチフレーズは自分でネタバレしている。しくじりました。さてどうするかと。「物語の新しい世紀を拓く」ってのは広告っぽいけど悪くないかなと思いました。でもね。よく考えてみた。世紀って百年ですよね。昨年の12月に百年前の小説を読んで、「これは今出版されてもいけるし違和感ない」と思ったんですよ。それにひきかえこの漫画は…。ものすごい違和感。百年じゃ足りない。それで千年紀という言葉にしてみました。決して大げさじゃないと思うんですけどね…。だって、今までの物語と根本的に違うんだもん。どうでしょうかね?


それではここから過去を振り返ってみます。




私が『ハヤテのごとく!』を初めて読んだのは2005/8/20の事でした。それまでも週刊サンデーは読んでいましたが、この漫画は眺めていただけでした。別に好きでもないし嫌いでもない、面白い回もあればつまらない回もある普通に連載されている漫画の一つでしかありませんでした。
読んでみて不思議な感覚を持ちました。読み返したくなる。何度でも読み返してしまう。なぜなのかわかりません。もしかすると今流行のこういう絵に弱いのか?いい年して萌えちまったのか?いやいやそんな非科学的なことはありえないはず。理由があるはずです。私が読み返したくなるような仕掛けがこの作品には必ずしこんであるはずなんです。
そしてもう一つ。「この作品は恐ろしく売れる、そして後世にものすごい影響を与える」と直感しました。
なんでそう思ったのか、当時はわかりませんでした。しかし、その直感にはなんらかの裏付けがあるはずだと考えていました。それを探るためにこのサイトで様々な切り口で長文を書いてきました。この記事では自分が書いたことを検証してみます。




まずははまっていく過程から。ここでは特に書くことはありません。2005/8/20、2005/8/21、2005/8/22ではなんとかして自分が知っている物語にうまいこと当てはめて理解しようとしている様がいじましいです。結局それをあきらめたのが2005/9/14の決意表明です。今思うと一番楽しかったのはこの時期ですね(笑)。新しいオモチャを手に入れた子供みたいな感じ。


2005/11/18〜2005/11/27までの10日間に渡って書いた文章があります。今思うとどうしてこの時に結論に到達できなかったのか不思議でしょうがない。しかも間違えたことやどうでもいいことを力を込めて書いています。


まずパロディについて言及した部分。主に三日目の2005/11/20に書いています。これには今も同じ感想を持っています。パロディの原典を知っている人にとっては親しみやすさを与えます。原典を知らない人にとってはどうでもいいことですが、極々少数であっても、パロディを機に原典に興味を持つ人が現れれば商業的には効果があります。実際2ちゃんねるの書き込みを見てもそういう人がいますよね。私自身もハヤテをきっかけに触れることになった作品がたくさんあります。ハヤテが売れれば業界全体が潤う可能性も秘めているのですよ。おそろしいことに。


話は前後しますが、2005/11/19の二日目に書いた「基礎体力」の話。これは完全に枝葉の部分です。別に今となってはどうでもいいこと。この漫画を面白いと思うきっかけの一つを書いているだけです。2005/11/21の四日目、2005/11/22の五日目も枝葉です。特に五日目の属性や人間関係が「数値化」されているという話はたぶん間違えていると思います。2部で書いた「ハヤテのごとく!.xls」があれば数値はいらない。人間関係のコントロールは脳内でも十分可能です。しかもそれも今となってはどうでもいいことです(笑)。
ただ、五日目を書くにあたって作った「ナギの世界」「歩の世界」「ヒナギクの世界」という言葉はわかりやすくて便利なのでこれからも使っていきたいと思います。


そして、あの十日間の文章を書いた時には本論だと思っていた2005/11/23の六日目…。これも枝葉。枝葉と言うよりもヒントなんですよ。ナギとハヤテの間に年齢の壁があるというのは、読者がこの漫画の構造を理解するためのヒントです。ヒントの部分に細かく突っ込んでいる俺。この漫画では物語が順次立てて進むことがあるということを読者に示唆しているに過ぎないです。作者が示唆しているのだからちょいとシンクロしている人間ならわかって当たり前なんですよ。


2005/11/24の七日目。読み返すと泣きたくなります。感動してではなくて情けなくて…。わかっていたんですよ。たぶん。なのにそれが言葉にできていなかった。そういうこともあるんですよ。この日は「日付が全て」ということを思いついた日です。それは合っていたわけですが、それに気を取られて本質的な部分を見誤った。作者にとってのゲームといっても、なんというかこの時思い描いていたゲームとは違った。予定表のエクセルをメンテするゲームとでも言えばいいのか。取捨選択をして話を進めていくゲームです。選択を誤ればトゥルーエンドには到達できないというわけではなく、途中で修正もきくゲームです。あるイベントでフラグを立てようとしたけれど立たなかったら別のイベントで立てればいいんです。柔軟性があります。


2005/11/25の八日目、2005/11/26の九日目は書いた当時でも枝葉と書いていました。どう見ても枝葉です。
ただね、これが枝葉というのは異常なんですよ。他愛のないギャグ漫画に幸福論が仕込んで有ればそれだけで話題になることがあるんですよ。そこばっかりが一般メディアで取り上げられて真のファンはうざく思ったりする物ですよ。この漫画にもそういう状況が訪れるかも知れません。しかし、わざわざこの記事を読みに来るような人ならわかりますよね。この漫画はそういう漫画ではない。他愛もない子供向け、オタク向けの漫画なんです。その構造が異常だから通常は取り込めないはずの読者を取り込めるだけなんです。


2005/11/27の十日目「トゥルーエンド」。この日書いたことはたぶん無駄にはなっていないはず。今後もこの記事を読む人は多いはずです。この漫画のタイトルはそういう意味なんです。この結論は正しかった。そして、最後に引用した作者の言葉。この言葉は構造を理解した今読んでも感動できます。作者の並々ならぬ覚悟を感じます。そのくらいの覚悟が無ければ決して完結しない漫画です。誰も読んだことがない、誰も書いたことがない構造を持つ物語が今我々の目の前に存在しています。
今の日本に生まれて良かった。漫画がある時代に生まれて良かった。畑健二郎さんが生きる時代に生きられてよかった。
この記事へのリンクは今後も続けます。


話は前後しますが2005/11/17に書くに当たって参考にしたサイトを列挙しました。インターネットが無ければ書けなかったな。そもそも書く場所も無かったわけですけれど(笑)。




次に2006/1/15の5巻発売時に書いたやつ。掘り下げとか書いているけど全然掘れてません…。




2006/3/17の6巻発売時に書いた文章は構造の話ではないです。でも、この切り口で書いている人は今もいないんじゃないかな?アニメ化でこの面が炸裂するような気がしているのですが…。ちゃんと読むとこの漫画異様に説教臭いですよ。ラブコメなのに恋愛とは無関係に「勉強の方が大事」と言い切るヒロインがいる漫画なんてそうはない。「歩ちゃんだって恋いもしているけれど勉強が大事だって言っているでしょ?」って母親に言われる娘が出てきかねません。




2006/6/16と2006/6/17には7巻発売記念長文記事。もうね。そうなんだよ。そうなんだけど違うのよ。突っ込みたくなるね。自分に…。




2006/9/17の初めて読む方への推薦状。これは今後も使える。ラブコメ好きな人へのキラーコンテンツ(笑)。たった1話、たった16ページでこれだけ深く読める漫画だって話は紹介してもいいんじゃないかな?
この記事へのリンクもはずさないことにしよう。




2006/11/18〜2006/11/27までは一年前の記事を振り返ってます。こんな物書く暇があったらもうちっと考えりゃよかったのにねぇ。




そして、運命の10巻発売。2007/2/16に書いた「マルチシナリオシングルエンディングというシステム」。
惜しい!!惜しすぎるよ!。これから5日後に全てわかるんですよ。この時にもわかっていたはずなのに書けなかったよ。惜しいよ。とっても惜しい。悔しい。
この記事を書いたことと自分の生活環境が変わったことがきっかけで気づいたのかもしれないですね。「夢の中へ」の歌詞を思い出した。当然脳内では斉藤由貴の声で再生されますが何か?
ネタバレすると、もしこの漫画を元にゲームが作られるとしたらどういう物になるのかって考えてみた結果なんですよ。終わりは決まっているけれど経路はプレイヤーが選べるゲームってのもありかなと思ったんですよ。


そして全てわかった2007/2/21。あまりのことに笑えてきます。回答はずっと目の前にぶら下がっていたんです。見えてなかっただけ。


そんなわけで、あたっていたところもあり、はずしたところもありです。過去について振り返るのはこのくらいにして、将来どうなるか、なぜそう思うのかを書いてみましょうか。




まず、あり得ないくらい売れるって話。
これにはいくつかの要素が絡んできます。まずは上にも書いた実は説教臭い漫画だと言うこと。スポーツ漫画だったら勉強しないでスポーツばっかしていたり、学生が主人公の漫画でも授業さぼってなんかしていたりするじゃないですか。この漫画はそうではない。登場人物は仮想空間で日常生活を送っていて、その場面が描かれています。学校に行かないと怒られます。試験の成績が悪いと進級できません。魔法でなんとかなったりしないんです。お金がないと死んでしまいます。そして借りたお金は返さなければならないんですよ。
あまりにも既存の価値観に凝り固まっています。なのにインモラルな香りがする。インモラルな香りがするのに突っ込みどころがないんです。子供を持つ親にとっては突っ込もうにも突っ込めないんです。
そして、パロディと萌え。これは主にオタク向け。ただし諸刃の剣。ヒットエリアが狭く反感を持つ人も多い。しかし、市場としては決して小さくはないけれどとびきり大きい所ではない。子供と子供を持つ親に比べれば…。ただ、このファン層に対する作者の愛着が半端じゃない。だから決して切り捨てることはないです。119話はたぶんそういうメッセージですよ。
最後に、この漫画のスーパーハイブリッド構造。ストーリーが大量に仕込まれています。それぞれのストーリーにはそれぞれファンがつくはずです。ヒナギクさんが好きという方がたくさんいるじゃないですか。それと同じでこの話が好き!っていう読者が絶対現れる。で、その話が好きな読者だけではなく、別の話が好きな読者もいる。ストーリー萌えといってもいい状況になるんじゃないですかね?その中にはサクセスストーリーも有ればラブコメも有ればバトルも有れば幸福論もある、何でもありなんです。そして一つ一つの物語がかなりよくできている。よくできているから物語全体としてはどうでもいい98話とか116話で不覚にも泣きそうになっちまうんですよ。で、それぞれの物語に関連性を見いだしてしまったら深みにはまる。一つ一つのストーリーが良くできているのは純粋に作者の才能だと思います。




最後に、この漫画が何で今後の物語に大きな影響を与えるかと言うこと。
まずは終了条件ですね。この終了条件を使う作品は絶対出てくる。それも大量に(笑)。ただねぇ。難しいよね。いつ終わるか読者にはわからないようにしなきゃいかんので。使っても誰も気づいてくれない可能性がある。
むしろスーパーハイブリッド構造が影響力でかいと思います。どうですか?俺はものすごく衝撃受けているんですけれど。特に創作している人から見てどうなんですかね?こんな話の作り方があるなんて思いもしなかった。極論すると物語全体を通したあらすじがないんですよ。2部で書いたように構造が崩壊している。連載が終われば最初と最後をつなげてあらすじにすることもできるけれど、連載中はどの話で終わるかわからないんですよ。作者がいろいろ語ってくれるから我々は唯一絶対のトゥルーエンドがあることを知っていて、主人公はハヤテでメインヒロインはナギとマリアであることがわかっているだけですよね。作者が語らなければ今頃混乱の極みにいるんですよ。こんな物語想像できます?いや、目の前に何セットかあるんですけどね(笑)。
絶対これはものすごい影響を与えます。漫画だけじゃなく、国内だけでもなく世界中に。こういう物語ができる、そして売れるということを証明していますから。そして、これになれてしまうと、他の物語が全て単純な物に見えてきてしまう。この漫画がスタンダード、評価基準になりかねないです。誰もやったことがないことを最初にやるのは大変だけど追随するのは比較的楽ですから。まず外国でこっそり真似する人が出てくるんじゃないかなぁ。それが逆輸入されて訳知り顔の人が「これは新しい」とか言い出しちゃったりしてハヤテファンが噛みつくとか。あ、噛みつくのは俺かな(笑)。
一点危惧があるとすると作者の才能です。畑健二郎さんという漫画家はストーリー創作能力がものすごく高い。そういう才能がないとこのシステムを使いこなせない可能性はある。もし普通の才能でこのシステムが使えるのなら本当に今世紀以降の物語構造の主流になって「『ハヤテのごとく!』が数百年間変わらなかった物語の作り方を変えた」と評価される可能性も秘めています。ハヤテ以前、ハヤテ以後という言葉ができてもおかしく無いと思ってますよ。
今まで言葉にできなかったけれど私はそう思っていたのですよ。本当です。ああ、ソースがない情報は信用されないんでしたね。自分でそう書きました。だってしょうがないじゃん、俺の能力じゃ言葉にできなかったんだもん!と開き直ってみる。




ありえないくらい売れると思いますよ。わかりやすい上に深いですから。うまいことやればどんな読者も取り込むことが可能だし。そうですねぇ。10巻1000万部とかいう無茶な予想してはずしましたけれどまた書きますかねぇ。
20巻1億部(笑)。要は1巻あたり500万部です。20巻で到達するかはわからないけれどそこまでは余裕で行くと思う。驚かない。その先も驚かないですね、別に。ハリーポッターよりは売れるんじゃないかな?あれより懐広いし深いから。外国の文化はよくわからないけれど、もし受け入れられれば漫画という物が今以上に広まるきっかけになるかもしれないですね。そしてあり得ないくらい売れて騒ぎになるかも。で、入手困難になり確実に手に入れるには秋葉原とか日本橋とか大須*1に行くしかないみたいな状況になりかねないと思ってます。


純粋に物語に感動することはあると思うけれど、もう何があっても驚かないです。


この恐ろしい作品の価値を作者も、出版社も、そして読者もまだ気がついていない。そんな気がしてならなかったのです。だからどうしてもそれを言葉にしたかった。もしかすると千年に一度レベルの革命が起きているのかも知れない、そう肌で感じてしまった以上はどうしても書きたかった。この文章が受け入れられるかどうかはわかりませんが、目標は達成しました。




私のゲームは終わりましたが『ハヤテのごとく!』という物語はまだ始まったばかりです。これから何が起こるのか、楽しみにしつつもおびえています。これほどまでに破壊力がある作品はたぶんもう巡り会えません。


最後に、この作品を世に送り出した畑健二郎さん、スタッフの皆様、そして小学館には本当に感謝しています。この年になってこんなに面白い遊びができるとは思ってませんでした。
ありがとうございました。

*1:電器街にそういう店があると勝手に思っているんだけど合ってますか?