144話感想その1 ハムの家庭教師は雪路なのか? 「本格推理として読むハヤテのごとく!」



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ハムスターこと西沢歩。普通の女の子だった彼女は、かつて家庭教師に勉強を教わっていたことがありました。その先生は勉強はほとんど教えず、ギターの弾き方を教えてくれるという「めちゃくちゃな」先生だったそうです。


コミックスで『ハヤテのごとく!』を読んでいる方は、これを読んで「ああ、そういうことなのかな?」と思ったのではないでしょうか?
西沢さんはかつて桂雪路に家庭教師に来てもらったことがあるのではないかと…。


桂雪路ヒナギクさんの姉にしてめちゃくちゃな先生。彼女はかつてギターを担いで歩いていました。それが表現されているのはここです。

4巻中扉


余談ですが、この絵を初めて見た時には「背後の物語を創造させる破壊力がある絵だなぁ」と思いましたけれど、今ではすっかりなれてしまいました。人間は感動にも慣れてしまうのですね。


先を急ぎましょう。


西沢さんがギターをもらったという話は唐突に出てきたわけではありません。西沢さんの部屋にギターがあることは描かれたことがあり、ファンの間ではそれを巡っていろいろな想像が語られていました。

6巻114ページ (6巻7話 通算59話)




同じようにも見えるし違うようにも見えるしそもそもギターケースに入っているのでわかりません。そもそも私はギターのことはさっぱりわかりませんし。
しかし、この漫画でギターと縁がある事が示唆されていたのはこの二人だけ。もし西沢さんの家庭教師がハヤテのごとく!という物語の登場人物だとすると、それは雪路ではないのかという妄想が膨らみます。


さて、その妄想を裏打ちするような絵があります。それは、アニメ用最終回でのある一コマです。

12巻P78 (6巻5話 通算123話)


この一コマだけをみても何の違和感もありませんね。しかし、この話の流れを思い起こして下さい。


雪路がいないのは不自然。


この一コマには誰かに導かれるように下田に集まったナギと関わりある人たちが勢揃いしています。なのに雪路はいない。お祭り騒ぎが好きで、漫画の流れとすると、こういう騒ぎには脈絡無く参加しそうな雪路が近くにいるはずなのに出てこない。一人で遠くにいる一コマだけが描かれています。
この話を読んだ時は別に不自然だとは思わなかったです。しかし、今週の話で、西沢さんと雪路が物語の前から知り合いだった可能性が浮上しました。そうなると状況は変わってきます。
私は123話までの下田温泉話で気になっていたのはワタルくんが出てくるかどうかでした。結果的に登場しなかったのでナギと西沢さん、そしてワタルくんの3人がそろうことはなかったです。この3人が一同に会する時には何らかの動きが出てくるはずです。
しかし、西沢さんと雪路がここで出会わないこともポイントだったのかも知れないんです。西沢さんとヒナギクさんの関係があるところまで進まないと、「家庭教師の先生=ヒナギクさんの姉」という関係は西沢さんに明かせないのかも知れない。そんなところまで空想は広がります。


この読み方は推理小説の読み方です。結末近くまで来て前を読み返して「ああ、そういうことか!やられた!」と思ってしまう。でも真の結末を読むとそれとはまた違っていることもよくある話ですけれどね。


結びの前に、私がイメージする本格推理小説とそれ以外の推理小説の違いを書いておきましょう。
本格推理小説は、文章に結末に到達できるだけのヒントが散りばめられていて、読者はロジカルに犯人なりトリックなりを予想することができる小説です。ただの推理小説にはそういう要素が無いことがあります。探偵役が足で様々な情報を見つけ出し、読者が驚くような結末を導き出すような小説です。
私は割と本格推理小説が好きですが、良い作品を読んだ時の感想は、先ほど書いた「ああ、そういうことか!やられた!」です。決して「なんだってーー!」ではありません。読者を本当の意味で驚かせてはいけないんです。驚くような事は何もない、だってそういう結末を想像するためのヒントは書いてあるから…、それが本格推理小説だと思っています。
本格推理の定義は人それぞれ違うかも知れないので議論の余地はあるでしょうが、私はそう思っています。


ハヤテのごとく!144話に話を戻します。この漫画は、あたかも本格推理のような一面を持っていると私は感じました。あるイベントが別のイベントのきっかけとなる、ある物語の終わりが別の物語のスタートラインになる、あるストーリーの脇役が別のストーリーの主役になっていてストーリー同士が互いに影響を与え合っている、そして、最後にはそれら全てが「トゥルーエンド」と呼ばれるラストシーンを迎えるために用意されていたのではないかと読者が思ってしまう。トゥルーエンドから逆に眺めてみると全てがロジカルに見えるのではないかと予想しています。
そう見えるのは日付を追って物語が紡ぎ出されていくから。登場人物たちは同じ時間を生きていて、過去に起こったことが未来に影響を与えているから。結果的にロジカルに見えるけれど、登場人物たちはとっさの判断や選択をしているだけ。この漫画はそういう物語だろうと私は思っています。


ようやく終わりが近づいてきました。


本格推理小説を「フェア」かどうかという点で評することがあります。作者が読者に対して判断材料を全て与えているのか否かということです。
ハヤテのごとく!144話。もし、雪路が西沢さんの家庭教師をしていたという設定ならば、この話は極めてフェアなお話です。もしかすると作者はそこまで考えていなかったのかも知れません。そのくらい自然な流れで、何気ない言葉で、ヒントを出しています。
そこまで考えてこの場面を描いたのならまさに私好み、もし、考えてなかったとしたら作者に神が舞い降りてきたのかも知れません。
この一コマがなければわざわざ通常感想とは別の記事を書くこともありませんでした。「ハムの家庭教師は雪路?」と書いていただけでしょう。
私はその一コマで12巻のことを思い出しました。私はその一コマを見て「フェアな話だな」と思いました。
最後にその一コマを紹介してハヤテのごとく!144話感想特別版を終わりにします。