連作とスーパーハイブリッドの違い

私は「スーパーハイブリッド構造」という名前を付けた物語の新しい構造が出現したとかいう怪しげなことをここに書いています。その構造を持つ例となる作品、というか、自分が知る限り現存する唯一の作品が「ハヤテのごとく!」という、往々にして萌え系と見なされる漫画であるため、そういう作品が持っていると提案されている「データベース構造」と比較されがちであるのではないかと想像しています。
私は、残念ながら漫画をそれほど読む人間ではなく、いえ、小説だって大してむさぼり読んでいるわけではないのですが、「データベース構造」は「スーパーハイブリッド構造」にたどり着く過程でちょっとだけ目にしただけです。いずれその2つの構造の違いも書けるようになりたいなと思いますが、今はやめておきます。
私の知っている物語の構造の中で「スーパーハイブリッド構造」に近いのは「連作」です。いくつか意味があるようですが、ここで言っているのは一人の作家がそれぞれ関連性がある短編、中編を書き連ねて行く作品という意味合いです。
「スーパーハイブリッド」が「連作」とどう違うのか?実は私はその問いに答えることができませんでした。違うということはわかるのですよ。それが言葉にできなかったんですね。
しかし、最近連作推理小説を読み、なるほどやはり全然違うんだなということがわかりました。今日はその印象が薄れる前に「連作」と「スーパーハイブリッド」の違いを書き留めておきましょう。
引き合いに出す作品は2作

前者が連作の例、後者はスーパーハイブリッドの例です。


まず、前者の作品について簡単に説明しましょう。
タイトルからは想像もできないような本格的な推理小説です。主要登場人物は3人。主人公の舞田歳三は刑事。その兄舞田理一の家でビールを飲みながら仕事の話を差し障りが無い程度に話している。そしてその席には理一の一人娘、舞田ひとみがいることも多い。ひとみの一見事件とは全く関係がないような話からヒントをつかみ事件を解決していくというお話です。
次に後者についても説明を試みます。
一言で言えば現時点では説明不能。親の借金を押しつけられてた綾崎ハヤテが大金持ちのお嬢さま三千院ナギに拾われて執事になり、ナギのメイド、マリアや、前に通っていた学校、ナギの好意で通えることになった学校それぞれの同級生、ナギの金持ち友だちなどと交流をするというお話です。


さて、前者と後者にはまず一つ大きな違いがあります。それも、「連作」と「スーパーハイブリッドの」違いの一つでしょう。
前者では本全体を貫く一つの謎が呈示されています。おそらくその謎が解かれる時、このシリーズは終わるのではないかと予感させる謎です。物語はその謎との関連性をほのめかして実際には無関係だったり、逆にその謎とは全く無関係と思わせておいて微妙に関係している、そんな調子で進んでいきます。
後者には今のところ全体を貫くようなテーマが呈示されていません。とにかく、主人公の目標が「とりあえず」という所で止まってしまっています。それが最終目標でないことはわかるのですが、その先に何があるのか、読者にはさっぱりわからないです。おそらくはその「とりあえず」の目標をクリアしていく中で最終的に目標とする事柄が明確になるのではないかと予想しています。


もう一つの違い、それは登場人物です。
前者の登場人物は、どの話でも歳三、理一、ひとみの3人が中心です。この3人が何を考え、何を思っているのかを中心に据えて読んでいけば読みやすいです。
それに対して後者では、序盤こそ、ハヤテ、ナギ、マリアの3人を中心として読むことができるのですが、ハヤテが学校に通うようになってからは混沌とした状況になります。メイン3人の誰かが、あるいは全員がいないところで、サブキャラである桂ヒナギク西沢歩の物語が進んでいき、その2人の物語が突然の終わりを迎える場面も描かれます。


以上の事実から「連作」と「スーパーハイブリッド」の違いは、「柱」の持つ重みの違いにあると私は考えています。短いストーリーがそれぞれに関連性を持っていることに代わりはないのですが、「連作」の場合は、一つの事柄、一グループの登場人物を常に中心にしているのに対し、「スーパーハイブリッド」の場合は、それぞれのストーリーが、どの事柄に、どの登場人物に関連しているのかは時と場合によって異なっていると言えると考えています。
そう。現実を思い浮かべてみて下さい。現実は物語のように単純ではありません。一つの目標を達成するためにみんなが一丸となって行動するなんてことはめったにありません。人はそれぞれ自分自身の目標を持ち、あるいは目標を探しながら生きています。全く別の目標を持つ人たちが「とりあえず」一緒に行動をすることもあります。そして、ある人がある目標に邁進していても、別の人は全く別の日常を生きていることなんて普通にあります。しかし、その別の人の行動がある人の目標達成に不可欠だったり、逆に邪魔をしたりすることだって良くあることだと思います。


あたりまえのことですが「連作」も「スーパーハイブリッド」もそれ以外の構造を持つ物語も、基本的にフィクションであることを確認しておきたいと思います。作者が思い描いた空想の世界なのです。その空想の世界をより現実らしく見せるために今まで多くの創作者がいろいろと工夫をしてきました。「スーパーハイブリッド構造」は、おそらく偶然生まれたその工夫の一つだと考えています。そして、その構造は空想の世界を現実に近づけるためにおよそ考えられる工夫の、少なくとも現時点では「最強の方法」なのではないかと私は考えています。