本当に知性がある人はバカになれる

まぁ、別に知性なんか有るよう見えても無いように見えてもどうでもいいっちゃどうでもいいんですけれどねぇ。
文学作品の表記の揺れについてはものすごく悩み抜いた上でそういう表現になっている事がほとんどだと思っています。逆にそこに作品の鍵が転がっていることだって有りますね。推理小説なんかだと特にね。


さてと。
ネットで文章を書くとなると、また話は変わってきます。検索対策であえて表記を揺らすことがあります。
私はね、前にも指摘されましたが一人称も文体もばらばらで、普通は記事ごとに変えてますけれど気分次第で記事内でもころころ変えることも多いですね。天然でかわっちゃうこともよくある。こんな感じで何も考えずスクラッチで書いている時はよくある(笑)。
でも、事前にテキストエディタで文章を準備する時なんかは、まず1度表記を全部統一してから、意図的に揺れを作り出すことが多いです。その理由は2つ。一つは前にも書いた検索エンジン対策。もう一つは、同じ言葉が多くて自分の脳内で声に出して読んだ時「うざい」と感じることがあるから。


何を持ってよい文章とするかってのはおそらく最大公約数的な所はあると思うのですが、私が書きたいなぁと思っている文章は読んでも何も残らない文章。声に出した時リズムだけが残る文章。んで、ちょいと強調したいところだけリズムを変えてみる。それが意図通り読者に伝わるかどうかわからないけれど変えてみる。そういう文章を書いてみたいと常々思っていますがなかなかどうしてうまくいくわけないわけでしてね。


上にケータイ小説の感想書いたけれど、あれは極端としても、ネットで横書きで読む文章ってのは紙の本で読む文章とは違うね。改行多くして文を短くしないと酷く読みづらい。
ネットでの文章修行ってのはもしかすると限界があるのかも知れないなぁなどとも思ったりしています。


やっぱ。紙に書かなきゃだめかもしれない。