「関さんの森」について思うこと。

私の住んでいる松戸に、昨今各種報道で話題になっている森があるといいます。「関さんの森」という名前だそうです。寡聞にして、テレビをあまり見ない私はそのことを友だちから伝え聞くまでは知りませんでした。歩いていけるところに住んでいてもその程度の認識ですよ。それについて書くとまたいつものような繰り言を繰り返すだけになってしまうので今日はちょっと違うことを書いてみたいと思います。


この森が問題になっているのは都市計画道路の計画があるからです。まずはその都市計画道路が必要か否かというところから私の考えを書いていきましょう。
私が思うに、今松戸市内で計画されている道で外郭環状線に次いで重要なのがこの道です。
地元の方はよくご存じでしょうが、松戸市西部の道は常磐線によって分断されています。常磐線を越える道路は指折り数えることができます。

余談ですが、竹ヶ花立体は面白いです。2本の立体が一見絡まっているように見えて全く別の動きをしているので。知らない人は思ったところに行けなくなる可能性がある道です。カーブの頂点が勾配の頂点になっているしねぇ。
こうやってみると、馬橋以北、以東が手薄なんですよ。現状問題の都市計画道路常磐線を越えようとすると、南から行く場合は二ツ木あたりから入っていくパターン、小金原方面からだと俺も通ったことがないやたらと狭い生活道路を通るパターン、もっと北からだと北小金駅前を抜けるパターンです。いずれのルートも生活道路チックな細い道を通らざるを得ないんですよねぇ。私もたまに使うのですがこんなところ通っていいのかなぁなーんて思っちゃいますよ。信号無いところ曲がったりすることもあるし。
この都市計画道路ができれば、そういう生活道路に流入している車がなくなります。


さらに、この道路には重要な役割があります。
千葉の京葉エリアと埼玉県までを結ぶ幹線道路です。


地図見てもらえればわかるけれど、この道、ずどんと抜けているんですよ。逆に今まで無かったのが不思議。地元住民が受ける恩恵よりも通過交通が受ける恩恵の方が大きい道だと思いますね。




さて、以上の要素から、私はこの道が必要だと考えています。そして、以上のような要素がある以上、対案として出している狭い道では後世に大きな遺恨を残すとも思うのです。今の生活道路と同じ程度の道幅だといかに歩道があろうとも危険だと思われます。通行する歩行者が危険にさらされるというのもあるし、運転ミス、あるいは無謀運転による事故が起こりやすい線形になっているから車同士の事故が起こるというのもある。そのとばっちりを歩行者が受けるという可能性だってあります。


私は、税金を払う我々が、そう、たぶん我々、全部が全部では無いかもしれないけれど松戸市民の住民税が使われるはず、その我々が納得するのならば、そして、技術的な制約がもしなければ、ちょうど高台になっている国道6号線手前からマツモトキヨシ本社前付近までを地下構造にする、それが一番誰もが納得する選択肢なのではないかと思います。
開削工法だけれど同じ松戸市で森の下を抜けている例もあるんですから。

いや、また余談なんですが、このトンネルできた時びっくらこいたな。いったいいつのまに!って感じだった(笑)。ここ面白いよ〜。前後は1車線ずつなのにトンネル内だけ2車線で作ってあるの。現状だとどうみてもオーバースペック。問題になっている都市計画道路がこのスペックなら全然OKなんですけれどね。




さて、最後に一言。
最初に書いたように私は直接は知らないですが関さんの森を守ろうという機運が高まっているらしい。そして、そう思っている人たちの気持ちもよくわかります。もし仮に、いや、仮じゃないんだなぁ、実際そんなことが起こりそうなんだなぁ、うちの側の森がなくなるとしたら、やっぱり残しておいて欲しい、感情的にはそう思うんですよねぇ。でも、現実には開発は進んでいます。斜面林なんかどんどん崩されています。ここ5年くらいで目にする緑はずいぶん減りました。
それでも松戸市はまだ森が多い。他の地域ではあまりない、まとまった広さの平地林もあります。

みのり台駅至近の場所です。実際に通ってみるとうっそうとした森です。

ここは東松戸駅至近。駅ができたのも最近ですからねぇ。開発はまだまだこれからです。ここには行ったことはありません。


今挙げたような例がどういう経緯で残された森なのかはわかりません。関さんの森同様、保護しようという積極的な意志があるのか、あるいは「たまたま」残っているのか。当事者でない私にはわかりません。
願わくは、ある1カ所だけが特別扱いされるのではなく、少なくとも松戸という狭い地域、望むらくは東京都市圏という広がりを視野に入れて、残すべき自然をしっかり残していけるようにならないものか、そんなことを思います。
自然というのは人間にとってやさしいばかりではありません。やさしいだけの自然はもはや自然ではないです。松戸に引っ越して来た時、その場所に立って感動した風景があります。今で言う里山の風景。おそらく農業を営むという現実的な要請によって産み出されたその風景は永久に失われました。そう。公園という名の飼い慣らされた心地よい風景になってしまったのです。なんの危険もなく管理された「自然」。それはもはや自然ではありません。人間が産み出した人工的風景です。
この地域には、まだ人間が迂闊に踏み入れると危険があるのではないか、そう思わせるような場所が残っています。それらを納得いく方向で残していく、そんな方法を見いだすことができたら幸せですね。






書いていて思いました。これではだめだ。思っているだけだ。うん。既に旧住民チックになっているとはいえ所詮は東京から来た外様の感傷なんだな。今日のこの記事はたとえ恥をさらすことになろうともいずれは書いておきたいと思っていた記事でした。