「考察」と「感想」の違い

この日記サイトのことを「考察系」とおっしゃる方も多いみたいです。主にハヤテがらみでですけれどね。でも、私自身は「考察」という言葉に抵抗を持っているのは今までにも何度か書きました。


さて、今日ようやく、どうして私が「考察」という言葉に抵抗を持っているのかがわかりました。


私がイメージしている「考察」っていう言葉には、「主観を排除する」というニュアンスが含まれているんですね。だから、私が今までここに書いてきた記事は「考察」ではなく「感想」だという印象を持っているんです。あくまでも私自身の主観を説明するために書いた記事がほとんどですから。


「考察」をするからには、一度自分の視点を捨てなければならないのではないかと思います。自分が現在持っている情報を捨ててみたり、あるいはまだ持っていない情報を持っていると仮定して、それを知っている人がどういう「感想」を持つのか考えてみたり、それが「考察」なんじゃないか。あくまでもその視点でどう見えるかを記述するだけ。そこには結論は無い。それが「考察」なんじゃないか。


そんなことに思い至ったのですよ。


先日書いた記事をヘッダーで紹介する時に

このサイト最後のハヤテ考察記事です

なーんて書いてましたが、それは嘘だ。逆です。これでようやく「考察」が書けるようになったんですよ。自分の主観を説明することに成功したから逆にそれを捨てることもできるんです。
ヘッダー直そう。


これから書く記事をなんと表現すればよいのか。それを考えていてそこに思い至りました。決して「感想」ではありません。少なくとも私の主観では、今日書く記事が「考察」記事です。
それを他の人が求めているかどうかはわかりませんが、私はそう考えています。