読書感想文 筒井康隆著『48億の妄想』 − はじめに



昨今、ゲームや漫画などの虚構の世界と現実の世界との区別がわからない子供や若者がいるという話を、なにやら偉いと言うことになっている人がテレビなんかで垂れ流していることがありますね。


告白します。
私は現実と虚構との区別がついていません。


というよりも、この『48億の妄想』という小説でえがかれている世界と、今自分が身を置いている現実世界との間で異なっているところを見いだせません。私自身が『48億の妄想』という作中では描かれなかった登場人物の一人なのではないか、そんな錯覚を受けることがしばしばあります。


『48億の妄想』。この小説を初めて読んだ時、私はまだ大学受験を間近に控えた高校生でした。受験という目の前の現実から逃避するために、手当たり次第に読書をしていました。その中に筒井康隆全集も含まれていました。
おそらく、私がこの小説を読んだのは1回。もしかすると2回くらいはよんでいるかもしれませんが、繰り返し繰り返しすり切れるほど読んだ、と言う記憶はありません。ところが、この小説の記憶は20年以上経った今でも消えていませんでした。むしろ強調されるようになったのです。


「tanabeebanatの日記」という公開日記を書き始め、漫画の感想を書いたことをきっかけにして無謀にも苦手な読書感想文を知らない人相手に公開するようになりました。その時、どうしても通過して置きたいイベントがあったのです。
『48億の妄想』の感想を書きたい!
なんとしてでも書きたい!
しかし、今の私にとって本屋で簡単に手に入れることができる本ではありませんでした。そして、インターネットを使えば簡単に手に入れる事ができたのかも知れませんが、その方法を使うことを感情的に良しとしませんでした。実際に自分の目で見つけたかった。手にとって確かめたかった。
2008年10月5日。
その時は突然やってきました。巡回コースに入れていた古本屋でその文字をようやく見つけました。興奮を抑えながら自分の物にしました。105円です。105円。物の価値というのは値段とはリンクしません。




20年ぶりに再読し、やはり私は未だ『48億の妄想』の呪縛から抜け切れていないことを再確認しました。そして、さらに、頭の中から抜け落ちていたこの小説のあらすじを確認することもできました。


私は筒井康隆という小説家に大きな影響を受けました。そして、筒井康隆が大好きです。特にこの『48億の妄想』という作品からは一生逃れられないであろう強烈な影響を受けました。
おそらく私はこの先も筒井康隆のファンで居続けると思います。しかし、心の奥底では筒井康隆のことを恨んでもいます。その作品によって私を壊して作り替えた作家のことを、『48億の妄想』という小説のことを恨んでもいます。しかし、この作品に出会えたことはやはり幸せなことだったのでしょう。すばらしい作品というのは人を幸せにする作品だけを指すのではない、人を壊すことができる作品も素晴らしい作品なんだ。私はそう考えています。




では、はじめましょう。