日本人と新幹線

話題になっている九州新幹線のCMを見てみました。こ、これは……。たしかにわけもなく感動するし泣けてきます……。





その理由の一つは、やっぱり全線開通の直前にあんなことがあったからなんだろうなとは思います。鹿児島から青森まで新幹線の線路がつながるはずだったのに*1、巨大な力でそれを阻止されたわけですからね。
しかし、昨日、ついに新幹線だけを使って鹿児島から青森まで行くことができるようになりました。途中で改札はありますが……。




今週の日経ビジネスには、東北新幹線の復旧作業を特集した記事が出ていました。現場の作業員のみなさまはもちろんのこと、それを指揮する人々もそれぞれの立場でそれぞれの役割を一つの思いを胸に確実に果たした結果、これだけ早期の復旧ができたんだなぁと思い、目頭が熱くなりました。
数字を見ると、4/7の大きな余震によるダメージが想像以上に大きかったようです。それがなければ4月の中旬には復旧が終わったのではないかと思えるほど。
しかし、それだけの被害を受けた上で、この短期間で復旧させるとは……。恐ろしい人たちです。


冒頭に挙げたJR九州のCMを見て、新幹線というのは単なる輸送手段という枠組みを越えたインフラになりつつある、あるいはなっているのかな、と思いました。そもそもは貨物輸送を含む輸送力が逼迫した東海道本線を救済するという手段の一つとして罵声を浴びながら建設された東海道新幹線が、それ自身が新しい目的を生むことを世に知らしめて、決してきれいとは言い難い政治の世界での荒波を乗り越えつつ全国に展開されていったんですよねぇ。
東京近郊、それも新幹線には縁がない千葉に住んでいると今ひとつ恩恵を感じないですが、仕事で新潟に行っているときはその威力をまざまざと感じました。自宅から上野、あるいは東京に行く方が、上野あるいは東京から新潟に行くよりも大変なんですよね。身長より高い積雪の中、時速200Kmで何事もなく疾走する新幹線というのは化け物だと思いました。


車輌にだけ目が行きがちですが、それを支える信号システムや軌道こそが、この交通手段を支えているのでしょう。記憶に新しいところで言うと、もちろん幸運な偶然に支えられたという面はありますが、中越地震で脱線しながらも乗客には被害を出さなかった上越新幹線には驚きました。現在取りうる最高の仕組みを使ったとしても、直下型地震には弱いはずで、むしろ、そこまでの安全性は担保し切れていないと思っていたのですよ。それが、繰り返しになりますが、幸運にも恵まれて無事だった。もちろん、その幸運は多くの人々の叡智と力が呼び込んだものであることに間違いはありません。
今回の地震兵庫県南部地震中越地震とは違い、現在の仕組みで安全性が確保できるタイプでした。だから、新幹線で一切の人的被害が出なくても驚くには値しませんでした。しかし、課題もありますね。駅の破壊は盲点だったのかなと。集中的に大きな被害が発生する走行中の車輌やそれを支える軌道に大きな問題が発生しなくても、拠点である駅があれだけ破壊されると不測の事態が起こりうるなぁと思いました。
運悪く起きてきた物が悪い場所に当たったら命に関わる大きな怪我をすることもありえます。別にそれは新幹線に限った話ではなく、普通に町を歩いていても同じ事ですけれど。


新幹線はもはや単なる輸送手段を越え、日本を象徴する偶像になっているように思えます。日常的に大量の旅客を高速に移動する手段を提供し、さらに、ひとたびそれが危機に見舞われたときも旅客の安全を確保し、そして、インフラが大規模に破壊されても、想像するのが難しいほどの短期間で修復されてしまう。
それを支えるみなさまの仕事は決して易しい物ではないはずです。日常では難しいことを当たり前のようにこなし、非常時には使命感を持って一日も早い日常への回帰に邁進する。そして、それが日常に戻ることによって、周囲もより早く日常を取り戻すことができる。
偶像。それは、それを取り巻く人々の精神的な支柱にもなり得ます。JR九州のCMは、そういうこころの奥底を揺さぶる演出だったんですよね。

*1:鉄オタ的に言うと東京駅で切れているからつながっちゃいないんですけれどね。それを言うのは無粋ってことで……もっとオタ的に言うと浜松とか鷲宮とか保守基地経由で今までもつながってたはずだしね。