読書感想文 芥川龍之介著『きりしとほろ上人伝』

冒頭で『奉教人の死』を引き合いに出しているということで、この話が古くからある説話であるのか否か?というところが当時は問題にされたのかもしれないですが……。
この感想文はあくまでも芥川龍之介が創作した話という前提で書くことにします。




要約すると「しりあ」に住む「れぷろぼす」という巨人が、神に……、ではないんだよなぁ……、「えす・きりしと」に帰依し殉教するまでの物語、ということになるでしょうか。
強大な力を持つにも関わらず心優しい巨人が、何を思ったか大名になろうとして、人間に仕えるというのが物語の発端となります。
その後、人間よりも強い「悪魔(ジャボ)」の存在を知り、「悪魔」に仕えることにします。しかし、その「悪魔」も「えす・きりしと」を恐れ出奔してしまったため、「悪魔」よりも強い「えす・きりしと」に仕える道を選びます。
小道具として使われているのは四十雀です。
山で静かに暮らしているときは、巨人の頭に四十雀が住んでいました。しかし、大名に仕えることを決めたとき四十雀は飛び立ってしまいます。そして、巨人がえす・きりしとに仕えることを決めたときに四十雀は再び巨人の頭に戻ってくるのです。


巨人は、人が渡ることが叶わない川の渡し人という「奉仕」あるいは「仕事」をすることによって、えす・きりしとに仕え、最後にえす・きりしとその人を渡すことで昇天?します。


一見すると、長い物に巻かれることを選んだ登場人物が、最後に正しい道に導かれるという話に見えますねぇ。




ところが、どうも私にはそう素直に読むことができないんですよね。芥川龍之介の他の作品を読んでしまったからですね。裏がないかも知れないのに裏を読みたくなると言う……。
ものすごくひねくれた見方をすると……。いや、やめておきます。私の心が「それは誤読」とささやいています。正解かも知れないけどやめておく。


やっぱり、この話は「いい話」として読むべきなんでしょう。