隕石と地震で考えてみるリスク管理

昨日ロシアに落下した隕石、すごいですねぇ。ニュースで聞いた話では、事前に軌道が把握できないような小さい(とは言っても人間の尺度からすれば大きい)隕石で、別にそれが直撃したわけではないのにこれほどの被害が出るとは……。
なんにしろ、今回の隕石落下は、過去では考えられなかったほど多くの情報を取得することができているでしょう。隕石を専門に研究している学者さん、という人がいるのかわからないですが、そういう人たちにとっては格好の研究素材を得ることができたのでしょう。そして、その研究の副産物として、もしも隕石が落ちてきた場合、被害を最小限にとどめるための対策も生み出され、市街地にまた落ちてきたときには人的被害、物的被害とも今回よりも抑えられるかもしれません。




でも、そういう対策って意味があるのかなぁとも思うんですよね。
隕石が有る特定の場所に落ちてくる確率はどんなもんなんでしょうか?それに対する対策を打つことは経済的に許されるのでしょうか?許されるとしても、それよりももっともっと他にやらなければならないことがたくさんあるのではないでしょうか?


それって、時間的な尺度は違うけれど、地震にもいえることだと思うんですよね。


たとえば、今問題となっている地震への対策です。
東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震。ものすごくショックでした。だって、あの地震が起こった日本海溝には、マグニチュード9の地震を起こすポテンシャルは無いと言われていたから。でも、実際には起こってしまった。
そして、今対策が叫ばれている、東海東南海南海地震。もちろんいつかは確実に起きるのですが、その規模が声高に叫ばれているマグニチュード9になる確率がどのくらいあるのかというと、かなり低いと私の知識レベルでは想定しています。
東海地震自体、単独で起こるのか、東南海との連動でなければ起こらないのか、ということもわかっていないですし(現状を見ると連動でないと起きないと考えるのが自然かなぁとは思いますが)、東北地方太平洋沖地震などのほかの地域で起こった巨大地震が、フィリピン海プレートユーラシアプレートのせめぎあいにどう影響するのかもわからない。
なのに、起こりうる最大値を想定して、対策を採ることが、果たしてよい選択なのか?


意味はあると思うんです。東北地方太平洋沖地震での津波以外の被害は規模から類推すると微々たるものでした。いや、たしかに数字を見たり当時の動画をみると呆然としますが、あの津波だって、普通に考えればもっともっと大きな被害を出していてもおかしくないと思うんですよね。その理由の一つは、日本の構造物がオーバースペック気味に作られているからだと私は思っています。東京だって、数百キロの至近距離であの地震が起きて壊滅していないのが不思議でしょうがない……。日本は世界一地震に強い国、逆に言うと強くなければここまでのし上がれなかった国であることには間違いないと思いますね。
話を戻すと、オーバースペック気味に作られた構造物によって、多くの人的物的被害は防げました。しかし、もしもああいった災害が起こらなかったら、そのために費やしたコストは後世「無駄」と判断されても仕方がないと思うんです。いや、無駄ではないんですけれど、超巨大地震に耐えうる強靭なインフラを作るくらいなら、そのコストを使って他にもっとやることがあっただろう、と評価されても仕方がない。


答えの出ない問題だと思います。それこそ民主主義にのっとって意見を集約し、最終的には政治家が責任を持って判断することだと思います。
人的被害、物的被害が皆無で済むと言われれば、たしかにそうすべきだと思ってしまいますが、それをすることでできなくなることもある、ということは留意すべきです。




最後に有名な逸話を書いて終わりにします。有名……、なのかな?
ずいぶん昔のことなので、どこで聞いたり読んだりしたのかも覚えていない話なのですが、当時御殿場周りだった東海道線を、勾配がゆるい熱海経由にするにあたって、当時としては長大な丹那トンネルを掘りました。
しかし、運悪く、工事の最中にトンネルが掘りぬく丹那断層を震源とした地震が起こり、坑口がずれるなどの被害が出た物の、多大な犠牲を払いつつ完成しました。
そして時代は流れ、東海道新幹線が着工されました。
かつて工事中に大きな被害が出た熱海函南間を通過するべきか否か。
その時に出した結論は、千年に一度の地震なので当分は起こらない、東海道線と同様丹那断層を貫通するルートで結ぶ、という物でした。
もしもこれから新丹那トンネルを掘ることになったらいったいどういう判断が下されるのでしょうか?