東京の地下鉄と失われた都電網
- 出版社/メーカー: 人文社
- 発売日: 2007/02/01
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物心付いた頃からというよりも物心つく前から、生れ落ちた時から都電の脇で生活をしていて(走っていたかと思ったけれど時間が終電後だったw)都電が走っていることが当たり前で、どういう因果かその都電が最後まで残る都電になったということもあり、思い入れは強いのですが、路面電車としての都電のことは実はよく知りません。
荒川線は専用軌道のところが多く、それが最後まで残った要因の一つですし。覚えがあるのは熊野前から小台までと王子から飛鳥山までですね。
話は変わりますが、経営が変わって名前が変わった帝都高速度交通営団。営団地下鉄ですが、遅いのに高速度と名前がついているのは路面電車に比べれば高速という意味合いだと聞いたことがあります。神戸高速にもそういう裏があるのかなと思ったりしますが急行という名がつく鉄道事業者は多いですが高速という名前がつく事業者は歴史的に見てもあまりないのかな?
また横道に逸れました……
東京の地下鉄には郊外電車の都心進出という目的が当然あったんだろうと思いますが、既存の路面電車を置き換えるという意味合いも強かったのではないかなと思います。それでは、都電と路面電車はどのくらい路線がかぶっているんでしょうか?
銀座線
全線で都電の軌道が上を走っていた。
丸の内線
新大塚から御茶ノ水まではほぼ並行して都電が走っていた。池袋から新大塚までと御茶ノ水から赤坂見付までは意外なことにあまり路線がかぶっていない。(大手町東京銀座周辺は都電網がすごいけれど丸の内線はJRを斜めに越えていたりするので……)赤坂見附から荻窪まではほぼかぶっているが、中野坂上から方南町までの路線は対応する都電は無かった。
日比谷線
北千住南千住間は一筋はなれているけれど郊外区間と考えればほぼ並行して都電が走っている。それ以南、茅場町まではほぼ並行していて、茅場町から築地までは一筋はなれている。以南以西中目黒までは中目黒駅近辺以外はほぼ並行。しかし日比谷線は曲がりまくっているのでルートをトレースする系統は無かったんじゃないかと思います。
東西線
中野から高田馬場まで並行する都電はなし。高田馬場東側、明治通り交差点から飯田橋手前、今道路工事たけなわの筑土八幡のところまでは並行する都電なし。九段下から大手町までも並行無し。そこから東陽町までは永代通り上の都電が走っていたが、東陽町以東の郊外区間は並行する都電なし。
三田線
西高島平から志村坂上は並行する都電無し。志村坂上から三田までひたすら都電が走っていた道路の下を走り続け、三田から清正公前(白金高輪)までだけは独立、そこから目黒まではまた都電の走っている道路の下。
大江戸線
新宿以西の郊外区間は無し。都庁前から北周り若松河田の手前までは並行無し。以東飯田橋から春日間を除き勝どきまではずっと都電が並行。赤羽橋から麻布十番まで並行し、六本木から国立競技場手前までまた並行するが、その先都庁前までは並行無し。
副都心線
都電とかぶるのは現存する雑司が谷の北側から面影橋のところだけだが、明治通りをトロリーバスが走っていたらしいのでそれとはもろかぶり。
初期に作られたのに並行していない路線が思ったよりも多いです。丸の内線と浅草線の都心ルートは都電が走っていないところを選んで作られたのかなと思うくらい。実際そういうこともあったのかもしれません。
東京の地下鉄網はほぼ完成とのことですが、計画されていた豊洲から住吉までの新線はもしかするとオリンピックがらみで作られるかもしれません。その路線をみると、東陽町以南は都電が走っていませんが、東陽町から住吉まではもろかぶりしています。
逆に、都電の路線が走っていて、近くに並行する地下鉄が無いのに建設されて異なところはどこかと眺めると……、護国寺から千駄木までも不忍通り、石原から大平、亀戸から西荒川、南砂町から亀戸、前述した東陽町から住吉、南千住から浅草、三ノ輪から蔵前(この路線はTXが並行しているともいえますが)、神谷町から札の辻、泉岳寺から古川橋天現寺橋経由で渋谷、権田原から四谷三丁目、西麻布から青山一丁目、西麻布から青山六丁目(青学のところ)、江戸川橋から早稲田、新大塚から大塚。
他にもあるかもしれませんが、案外とこまめに地下鉄って建設されているんだなという印象を持ちました。
路面電車の走る街へのノスタルジーはありますが、地下鉄の圧倒的輸送力の恩恵を受けている身としては、もしも未だに東京都心を路面電車が走っていても、その役割はかなり限定されたものになっていたんだろうなぁと思ってしまいますね。