ハヤテのごとく! 最終巻 51巻 52巻感想



長文です。
すごく読みづらいです。




どうでもいい話から始めますがね、昨日今日と地元の本屋では買えなかったんですよ。限定版はともかく通常版も在庫がないという状態。電車に乗って買いに行きました。東京と千葉を定期で行ける範囲を行き来してアニメイトで入手できたんですが一般書店では限定版は売ってなかったなぁ。そもそも仕入れてなかったのか瞬殺したのか。
中途半端な田舎なので秋葉原行けばいいんだけれど交通費使うのも悔しかったんで手に入ってよかったです。だめなら明日職場近くで買うか早く上がって(その分翌日の帰りが遅くなるだけですが)秋葉いくかするしかないかなぁと思っていました。


とにかく、もしかするとこの漫画についてこのサイトで記事を書くのはこれが最後になるかもしれません。
長くなりそうなのでブログのフォームではなくテキストファイルで書き始めました。書きながら保存しないと怖いです。こういうことをするのももしかしたらこれで最後になるかもしれないなぁ。
今まで自分としては大量の文章をこの漫画に対して書いてきました。最後だと思うと感慨深いものがあります。しかし、それ以上に、最終回の感想でも書きましたが、この漫画が作者が思い描いたものとさほど変わらない形で完結したってこと、それを目にすることができたってことは感無量と言ってもいいですね。






この漫画を振り返り感想を書くに当たり2つの要素を別々に考えた方が良いと思っています。
1つは物語要素です。そしてもう1つが私が思い至った特異な構造についてです。
その2つの要素は決して切り離すことはできないと考えていますが、ごっちゃにすると何がなにやら訳がわからない状態になるのでまずは分けて考えてみて、それから相互の関係について考えるという整理をしないとまとまらなくなるのではないかと思っています。


まずは物語要素について書いていきます。
限定版まで読みましたが、私の気づく限りは1巻の後書きが意図的なミスリードだったのか本当に予定が変わって結果的にこうなったのかは書いてありませんでした。たとえ書いてあったとしてもそれを信じるかどうかは別の話なのでなんら変わりは無いことですが感想のネタにはなるかなと思ってました。
完結してから「ハヤテのごとく!」という漫画を読み返すと王道を行く物語です。思春期の男の子と女の子が出会い、いろいろな出来事を経験し、結果的には別れ、そしてこの漫画の場合は再会というハッピーエンドで終わる。古来から多くの作品で表現されていた物語です。


この漫画の行く末について、ある時期必死になって予想をしていました。その中には当たったもの外れたものいろいろありますが、当たったこととして一番感慨深いのはこのことです。
と思って自分のサイトを検索してみましたがそのものずばりには行き当たらなかったので関連する記事を…
桂ヒナギクと「属性の喪失」
この漫画の登場人物たちが目指しているところは西沢さんであり、その過程で与えられた属性を失っていくという流れになっていくのではないかと予想をしていて、それに関してはほぼ当たっていたなと思います。
なんせ最終巻52巻の表紙がハヤテとナギとなぜか西沢さんですからね。
くどいようですが作者の言葉をまるまる信じるのは危険ではありますが、限定版に書いてあったこととも符合します。少年漫画というメディアでは属性が付加されていくことが多いですがこの漫画の場合はキャラクターから属性が失われていくというのが最初からのプランだったんだろうなと。
このことは構造の話とも絡みますが、「本物っぽいフィクション」、言い方を変えると「時間経過を感じるフィクション」を作るにあたって普遍的なテクニックになるのではないかと思います。
現実を見据えてみると、子供の頃はいろいろな夢や可能性を持っていても年齢を重ねるごとにその選択肢は減っていき、最後は宝くじで10億円当たるようになったことくらいしか夢を持てなくなります。時を経ることによって属性とか特徴というのは失われていくのが現実です。
この漫画の最終話を読んでどう感じたかは人それぞれだとは思いますが、私はナギの変貌に描かれなかったはずの時間を感じることができたし、それでも人としてぶれていないところがなんともそれっぽいなという感想を持ったりしました。
創作能力が低い私ですらその期間にもしかしたらこんなことやこんなことがと想像を巡らせることができたので、同人誌などで創作をしている人たちは、あの数ページを読んだだけでぶわーっといろいろなプロットが浮かんだんじゃないでしょうか。


当たった話だけだとおもしろくないのでそれに関連して外れた話も書いておきましょうね。
なんといっても物語が終わるタイミングを外してます。後日談はあるにせよ実質は1年の物語でした。見誤った原因はひなぎくの存在でしょうねぇ。学園要素がもう少し強いのではないかと思っていたから属性を喪失するといっても学校が変わるみたいなところまで想像できていませんでした。
よくよく考えてみるとワタルくんだって学校やめてるし、そういう変化を描くことに抵抗がない作者なんだなぁということが理解できてなかったってことです。
ほかにもいろいろあると思いますが基本的には都合が悪いことは忘れますのでこのくらいにしておきます。


物語の話に戻ると、この漫画は最後のナギの言葉から逆算してできているということになります。
ごく普通の文字列に特別な意味を持たせるために、特別な出会いがあり、ほかの登場人物との絡みがあり、遺産の話があり、同人誌の話があり、別れがあり、それらはすべてあの言葉に複雑な意味を持たせるために用意されていたということです。
しかし、読者から見るとそれは反対になります。特別な出会いがあり、ほかの登場人物との絡みがあり、遺産の話があり、同人誌の話があり、別れがあり、そしてあの言葉がある。
この漫画からは離れますが、この漫画をきっかけにしていろいろな小説や漫画を読みましたが、名作と言われていて今でも読み続けられている作品には、人によって、さらには同じ人であってもその状況によって感想が違うという共通点があるように思っています。読んだ誰もが同じ感想を持つような作品はある一時期は爆発的に人気が出ることがあっても残念ながら長く残ることはないと思っています。
この漫画のナギの最後の言葉、そこにどういう意味を見いだすかはおそらく読者それぞれ違うのではないかと想像しています。この後、ハヤテとナギの2人、さらにほかの登場人物たちがどんな話をするのか、私は勝手にナギが料理ができるようになったみたいな話をしたのを受けてハヤテが料理を作ってそれを食べてレベルの差にナギが凹むみたいなのを想像しましたがそんなことを想像するのは私だけかもしれません。
限定版でも書かれてましたが作者が想像していることもあるでしょうが、それが唯一無二の正解ではないと思います。
これも以前ここにたぶん書きましたが、この漫画が完結したことによって、登場人物たちは作者の手から読者にある程度委ねられました。そう考えるとほかの作品に出てくるこの漫画の登場人物たちがどういう行動をするかという不確定要素がまた楽しみです。結局次作も真剣に読むことになりそうです。思うつぼですね(笑)。


物語としての「ハヤテのごとく!」という漫画は非常にシンプルです。
なのになぜ私は夢中になってしまい、当たらなかったり当たったりする予想をしたり、こんなところに毎週感想を書くようになってしまったのか?
それについては次の節で書いていきます。






この漫画の連載は13年、私がこの漫画を意識して読むようになってからでも12年が経ちます。
意識して読むようになったきっかけはここには書けないけれど本当にしょうもない理由でした。コミックスを買うようになったきっかけは少しはましで、登場1話で西沢さんがどうしようもない感じで振られたのにフェードアウトすることなく登場してきたことによるものでした。
コミックスを買ったときにはこの漫画が物語であることも意識していなくて1話から数話完結の自分好みのギャグ漫画だと思っていました。
ところが、当時発売されていた1巻から3巻までを読んでその評価は一変しました。サンデー連載時にはちゃんと読んでなかったからなのですが、登場直後に女の子キャラが振られるみたいな普通は無いような展開がたくさんあることがわかりました。
その中には終わりが決まっていないと決して書けないような話もあることに気がつき、ここからいったいどういう話になるのかが気になってしょうがなくなりました。
これはおもしろい漫画だ、おもしろい物語だと認識するとネットでいろいろ探したりしてみました。だれかが自分が知りたい答えを書いてくれてるんじゃないかと気楽に考えてました。しかしみつからなかった。なのでしょうがなく自分で考え始めた。それじゃそもそもおもしろいっていうのはどういうことなんだろうと考えてみたくなり、今まで自分がおもしろいと思った作品を思い返したり読み返したりし、そしてまたこの漫画を何度も読み返してみて数ヶ月でやっと結論に達しました。


物語の本質は「時の流れ」であると。


幸運にもその頃すでにこの日記を書いていたので書きながら自分なりに考えをまとめ、考えたことを書くことによってさらにまとまっていきました。
全部リンクを貼るとうざいので10日間の最終日だけリンクを貼ります。
2005年11月の長文最終回


そこまで行って一時的に満足はしたのですが、よくよく考えてみるとどうしてこの漫画でその「時の流れ」を感じ取ることができたのかということが全くわかっていないことに気がつきました。
そこからがとても長かった。
人生の中でも最も頭を使った期間かもしれません。無駄なことに使いましたけど楽しかったです。趣味ですからね。仕事じゃないから。


そして、ある瞬間に理解しました。
この漫画は自分が読んできたほかの物語とは全く違う構造を持っているということが理解できました。
2007/2/21「スーパーハイブリッドコミック『ハヤテのごとく!』」(暫定版)
初めてこの漫画を意識して読んでからそれがわかるまで1年半。一生忘れることができない時間を過ごさせてもらいました。


構造についてはことあるごとにここに書いていますし、多分に過大妄想的なところがあるので今日は細かく書くことを控えます。
思い返すと気がついたその日に書いた文章がその後じっくり練ったつもりの文章よりもよくできているように思えるのがおもしろいですね。ほんと、あの瞬間は一生忘れない。できれば116話最終ページだけでいいから柱も含め週刊連載そのまんまで売ってほしいなぁと思っています。






もしもこの漫画で描かれるのが本筋だけで、私が言う特異な構造を持っていなかったとしたらどうなっていたのかなと想像したりします。
もしかするとそもそもコミックスを買おうとは思わなかったかもしれません。物語だけでも素敵ではあるけれど、それは完結した今だから言える話です。当時漫画をコミックスを買ってまでして読むという習慣がなかったわざわざ買って読もうとは思わなかったでしょう。
ほかの読者はどうなんだろう?そればっかりはわからないです。
作者にとってはどうなんだろう?私の勝手な想像ですが、この構造は物語の有り様を変えようみたいなことで生み出されたのではなく、連載を続けようという切迫した状態で生み出されたのではないかと思っています。
作者の連載デビュー作でなければこういう変わったことをやろうとは思わなかったかもしれませんし、この構造が生み出す効果まで意識はしていなかったかもしれません。
ただ、その後も追っていくと畑健二郎さんという漫画家は誰もやっていないことをすることを恐れないように思えるしむしろ好んでいるように思えます。
表紙に吹き出しをつけて買いづらくしてみたりシリアスな物語フェーズの巻頭カラーでぬるい話をやってみたり。枚挙に暇はありません。
その中の一つとしてこの漫画の持つ構造があります。






週刊連載の最終回を読む前、もしかしたら泣いてしまうかもなと思っていました。
しかし、意外にも涙は出ませんでした。
その代わり強烈な虚脱感に襲われました。
運悪くサンデーの発売日は水曜日なので、その日一日の業務に支障が出るレベルの虚脱感でした(笑)。
年齢を重ねて涙腺がゆるくなっている私があのときどうして泣けてこなかったのか、それはおそらく最後の言葉があまりにもいろいろなことを想像させて泣くまでの余裕が持てなかったからではないかと思います。
今日こうしてコミックスで改めて読んでみると若干涙腺はゆるみますが、それよりも本編で描かれなかった場面をあれやこれや想像する楽しみの方が勝っています。




実時間で13年、登場人物たちは後日談を含めて3年、長くもあり短くもありました。個人的には一生こういう時間を持つことはもうできないと思っています。


この漫画についてここで文章を書くのは最後になるかもしれません。
週刊連載の最終回の感想を書いたとき、全盛期には遠く及ばないものの、ほぼ更新をしていない最近ではかなり多くの人が読みに来てくださり驚きました。
この読みづらい長文記事ももしかすると自分が思っているよりは多くの人が読みに来てくれるかもしれません。
その中には私が思っていることに同意してくれる人もいればそれは違うと思う人だっているはずです。
しかし、ここまでわざわざ読みに来るみなさんに共通していることは「ハヤテのごとく!」という漫画が気になっているということです。もしも私が書いたことが、その気になる理由の説明になっていればいいのですが。




ありがとうございました。