生活の知恵と法的な問題とは必ずしもリンクしない

ズルい? 悪いと思ってない人も? どう防ぐ「不正折り返し乗車」 苦悩の鉄道事業者
この記事に出てくるみなとみらい線みたいなケースだと確かに鉄道会社にとっては大きな問題でしょう。
利用者サイドからすると通常の通勤での利用の場合を想定すると、数十分を無駄に使うのか快適性を得るのかを利用者が天秤にかけた結果なのでずるいというより、時間というものにどういう価値を見いだすか、ルールというものをどうとらえるか、さらには余計な出費をしても快適性を得るかという選択になるのではないかと私は思っています。
ルール違反となる行動をしていることをこれ見よがしに吹聴したり、ルール違反を推奨するのはあれですが、現実をみれば生活の知恵的な感じでルール違反(この例で出てくる法的なルールにかぎりません)をしている人はこの件に限らずそれなりの数いると想定しています。
それだけ通勤というのは現代人の心と体の力を奪っているという見方もできますし、別の例で採り上げられている駅ナカ利用についていえば、それだけ駅ナカに魅力があるということも言えます。
ちなみに駅ナカに限らずそういう例はほかにもあってごにょごにょ。


上の記事にあるズルいという表現はこの場合にはあたらないと私は思っていて、どういう選択をするかは利用者の意識次第であり、ある選択をする人の数が圧倒的多数になると逆に別の選択をした方が快適になるみたいな逆転現象も起こりうると想定しています。現にごにょごにょ。


そういうごにょごにょなことって一度二度使ったくらいでは思いつかないし思いついても意識して実行に移そうとは思いません。たまたま必要に迫られたり間違えたりして「こんなこともできるんだ」「こんな仕組みになってるんだ」ということに気がついて日常行動に取り入れるという流れになっていくのだろうなと思います。
職業柄いろいろなところに通勤してきましたが、通勤先によって千差万別いろいろなごにょごにょ案件が見つかります。法律的にはみたいな話にならないけれどこの選択をするとこうなるということをおおっぴらにするとその選択をする人が増えてメリットが失われるみたいなことも多々ありました。たとえば羽田空港でもごにょごにょ。
そういうのは日常的に使っている人たちにとっては当たり前のことだったりするので、それを一度二度しか使わない人がズルいと感じることはあるでしょう。その方法を知るまでに要した期間と場合によってはお金のことはそういう人たちには想像できないでしょうからね。


最近は厳密にルールを適用するのが流行のようですが、それをしないで曖昧にぼやかすっていうのも昔から息づくこの国の文化でありそれこそ生活の知恵なのかなと思ったりしています。その背景にあるものを考えるとおもしろかったりするのですがそれはそれでまた別の機会に書こうと思いますがもうすでに何度も書いていたりするかもしれません。