読書感想文 筒井康隆著『48億の妄想』 − 暢子

もしぼくが、この作品で「暢子」という女性に出会わなければ、今頃は違った人生を歩んでいたかも知れない。
それほどまでに強烈な印象をぼくに残した暢子。この小説には挿絵がないのでどういう容姿なのかは想像するしかない。そもそもフリガナも振っていないのでなんと読めばいいのかも本当のところはわからない。それでもぼくは彼女に憧れている。この本を読んでから20年以上経った今でも憧れ続けている。
それは今流行りの「萌え」という感覚とは違うのだろうと思う。ぼくは「暢子と何かをしたい」のではなく、「暢子になりたい」のだ。


本当のことを知り、当たり前のこと、つまり常識に従うのではなく、本当のことに従う暢子。そんな彼女になりたいのだ。
本当のぼくのことはぼくにしかわからない。それを周りの人たちに知ってもらうように工夫した時点でその気持ちは「嘘」になってしまう。それはわかっている。しかし、それでもぼくは、他の人に自分を知ってもらおうとして未だに「嘘」をつきつづけている。


ぼくは暢子になりたい。暢子になれるのだろうか。暢子になることは幸せなことなのだろうか。