読書感想文 筒井康隆著『48億の妄想』 − 本当のこと

僕たちは、今まさに『48億の妄想』の中で生きている。
この小説が発表された1965年、僕たちは何を思ったのだろうか?そして、40年経った今、改めてこの小説を読んだ僕たちは何を思うのだろうか?


この小説で描かれているテレビが支配し、テレビを意識してすべての人が生活している社会。そんな社会を僕たちは決して笑うことができない。僕たちが今生きているこの世界と何ら変わりはないんだ。


僕たちは今こうやって、誰でも気軽に情報発信ができるようになったのをいいことに公開される場所に自分が書いた文章を垂れ流している。その文章の中では僕たちは本当の僕たちではなく僕たちを演じている。
「誰かが見ている」「期待されている」「期待に背いてはいけない」という空気の中で、僕たち自身がそうは意識していなくても、僕たちを見ている人たちの期待通りの言動をしてしまう。そして、他の人の行動を必要以上に気にしている。自分だったらもっと上手にやるのに……。などと、この小説で描かれているたばこ屋の家族と同じような事を考えている。
でも、僕たちには覚悟が足りないのではないかとも思う。たばこ屋の次男のように、もし自分の家族が全員死んでしまい、自分自身も大けがを負った時、彼のような演技は僕たちにできるのだろうか。本当の気持ちはどこにもない、他人にわからせるためだけの怒りをぶちまけることはできるのだろうか?そこまで「利己的」に振る舞える物なのだろうか?そもそもそれを「利己的」な行動と認知することはできるのだろうか?


僕たちは『48億の妄想』の中に生きている。それが、本当のこと。