「懐かしい駅の風景」を見つけ、趣味を表現するということを改めて考えた



この本を読んで、わからない言葉がたくさんあったのでネットで調べてみました。結局わからないままになった言葉がたくさんあるのですが、その過程でこんなサイトを見つけました。



濃いです。濃すぎです。


おきらく娯楽工房が、現在を切り取り未来を予測する方向性だとすると、懐かしい駅の風景は過去をひもとき失われた機能に思いを馳せるというところでしょうか。両方とも私の趣味にぴったりなんですよね。偶然たまたまこの日記も含めて2011/2/26時点ではサイトのカウンターが200万ちょっとで横並びなんですよね(笑)。なので微妙に親近感が湧くのですが、なーにすぐに手が届かないところにいっちゃいますよ、あちらはそれだけの価値があるサイトだもん。それと同等の価値を私も生み出せれば良いのだけれどアイディアが浮かびません。




鉄道マニアなのに鉄道系の記事はそれほど多く書いてないです。どうしても書くよりも読む方が主体になっちゃうんですよ。鉄道系にはこの記事で挙げたところを含み偉大なサイトが多すぎます。っていうか、その偉大さが趣味にしているから逆にわかるということなのかもしれません。私が書いた物を読むよりも別の人が書いた物を読む方が趣味人にとっては幸せなんだろうなと思っちゃうんですよね。
コンテンツ主体のサイトを作る以上は、ある方向性で掘り下げないと難しいのでしょう。そこまでの根性が私には無いし知識や資料収集能力もないんですよね。残念なことに。だから、その日見た個人的に面白い話を書き留めることくらいしかできないのです。


漫画や小説の感想は、それほど詳しくないから気軽に書けているんでしょうね。推理小説には自分なりにこだわりがあるのでそうはいかないですがね。詳しくないからこそ他の人が書いた物を読むよりも自分で何かを書きたいという意欲が持てるのです。
この日記で多くの人が読みに来る記事は、私が知りたかったのにネットには存在しなかったり、存在しても探すのに苦労した記事ばかりです。それには漫画感想も含まれます。もしそれがさくっと見つかるのだったら、そもそも記事になるほど印象には残らないだろうし、検索してわざわざこの日記を読みに来ることもないんですよね。


知らない、わからないってことは武器にもなるのかも知れないなぁと最近思います。もし自分の大好きなこと、自分が知っていることだけを書いていたら、この日記を長く続けることはできなかったんだろうなぁ。