大雪予報はずれから考える、自分の身を守るための「自己責任」という考え方

昨日、関東地方は警告されていた雪の予報にも関わらず、積雪に至るまでの雪にはなりませんでした。
しかし、前日に出されていた天気予報を受け、首都圏のJR各線は前日夕方のうちに翌朝間引き運転を行う旨告知し、利用者に注意を呼びかけていたにもかかわらず、朝の通勤時間帯に混乱を来たしました。


昨今の流れから類推するに、間引き運転を決断したJRや、そもそもの気象情報を出した気象庁への批判を展開する人、あるいはメディアが多々存在するのではなかろうかと類推しています。
しかし、私は、批判するだけでは何の解決にもならないと思うんですよね。




まず、間引き運転の話ですが、過去の経験から言って仕方がないところなんですよね。かつて平常運転しているさなかにトラブルが起こり、多数の満員列車が駅間に止まってしまうことがありました。閉じ込められることも大変だし、閉じ込められた人たちを線路を歩いて避難させると、今度は線路内の安全確認に時間がかかり運転再開が遅れてしまいます。
東京の朝のラッシュを経験している人はご存知でしょうが、列車は数珠繋ぎになっており、前の列車が止まっている駅の直後まで次の列車が迫っていることはよくあります。その状態で運転ができなくなると、にっちもさっちも行かなくなっちゃうんですよね。駅に止まっている列車の乗客をいったん全員ホームに下ろして、次の列車を入れて、その乗客も全員ホームに下ろすくらいのことをするしかないでしょうね。
そういえば、あまり話題には上らないのですが、東京メトロ千代田線は、事故などが起こると「次のXX駅まで運転します」という案内放送を流すことが多いです。それはつまり、前の列車が駅を離れたのを確認してからその駅まで列車を動かし、駅間での停車を防ぎつつも、通常の数倍の時間はかかるけれど列車を動かし続けるという運用です。
初めて経験したときには意味がわからなかったですが、「綾瀬まで行きます」といわれてて大手町から乗ったら、途中の乗換えが難しい駅、たとえば千駄木で長時間停車とかされると非常につらいものがあるので、次の駅まで、と言ってくれたほうがありがたいんですよね。
まぁそれは千代田線単体が止まった場合にだけ有効な施策ではあるのですが、なんにせよ駅間で乗客が乗った電車を極力止めない、というのは、大原則になりつつあると感じています。


その間引き運転を決断したきっかけとなったのは気象庁の気象情報なのですが、これがまたどうにもならないところはあるんですよね。
たぶんどんなに高性能のスパコンを入れても、どんなに経験を積んだ予報官がたくさんいても、東京の雪をどんぴしゃりで予報することはできないんじゃないかと思います。
2ちゃんの降雪情報スレでは、低気圧接近の1週間くらいまえからさまざまなデータの検討をし、それを肴に盛り上がっています。私なんか知識がないので見てるだけですが、それでも盛り上がります。
盛り上がるんですよ。盛り上がるということは、各種観測データや各国が公開しているスパコンがはじき出す予測だけでは「雨が降るか、雪が降るか、何も降らないか」が、知識と経験がある人なら誰の目からみても明らかな形でわかる、ということではないんですよ。同じ情報から別の結論を導き出すことも可能だし、各国スパコンの予想は微妙に違っているので、どの予想を信頼するかによっても結論は変わっていきます。


たぶんね、無理。東京の雪予報は無理。今年は今のところ2ちゃんが強いけど、実際には降らなきゃわからないと思う。だからみんな盛り上がってるんだもん。




さて、こういうことを踏まえてですね、思うんですよ。
こういう場合、JRなり気象庁なりを非難するのは無意味だろうなと。改善の要望はしたいですよ。JRには要員配置などさまざまな困難はあるだろうけれど、当日の実際の天候を見極めて柔軟に運行計画を見直して欲しいとか、気象庁には、今回のように、悪い方向に転がると災害の恐れがある場合はその悪目の予報を出しているということを国民にわかりやすく伝えて欲しいとか。ありますけどね。


結局、痛い目に遭うのは自分なんだよね。


何も考えず普通の時間に家を出て、混乱した北千住で怪我をするとかさぁ、普通にあるし。いや昔はそれが日常で今はずいぶん楽になっただけなんだけど……。でも、よく考えてみれば、前日には告知されていたんだから、準備はできたはずなんですよね。今回の場合は特に。自分の身は自分で守れたはずなんだよな。雪の予報なのに雪が降らなくてひどい目にあった、というよりも、雪の予報だから普段とは違う準備をしておけば、もし振らなかった場合でも余裕のある行動ができる、と考えたほうがいいと思うんですよね。


他の人や組織に自分の思い通りの行動をすることや、不必要なまでに正確な情報を提供することを求めるよりも、自分自身で考えて他の人の動きもある程度予測し、公開されている情報を広く参照してどういう行動を取るのか自己の責任において判断する。自己責任で判断したのだから、その結果起こったできごとも自己責任となる。それでいいんじゃないですか?
そういう人が増えることによって、社会はもっともっと円滑に機能をすると私は思うんですよ。