「東京に行く」と言ってしまう理由は何か?

昨日飲みながら話題になったことを覚えていたので書きます。地理学の学生さんなら卒論の取っ掛かりになりそうなネタかもしれません。地理学の学生さんって少ないけどね。




毎週都内で飲むのですが、主要メンバーで東京23区内在住者と千葉在住者がいるんですよ。昨日はたまたま千葉在住者が俺だけだったのですが、そこで話題になった。
東京都内葛飾区に住む人が埼玉は蕨で働いていたときに、そこの人たちが「東京に行く」と言っていたことに強烈な違和感を感じていたという話になったんです。蕨といえば赤羽から川口と京浜東北線をたどって東京都内からすぐのところにある町だ。そこに生活の基盤を置いている人が「東京に行く」と言うのはおかしいのではないか?なぜ「池袋に行く」「新宿に行く」「秋葉原に行く」「銀座に行く」ではないのか?と。
しかしそれに反論というか反証した俺。
俺も東京の荒川区に住んでいた頃は「東京に行く」という表現を使ったことはなかった。もっというと「都心に行く」という表現もしたことがなかった。「神保町に行く」「新宿に行く」みたいな表現をしていた。しかし、行政区分としては東京に隣接している松戸市に住み始めると「東京に行く」という表現がしっくりくるようになった。
そこから話が発展して、たとえば国道246号線。あの道を東京に向かって走っていくと、青看板に「渋谷」という表示が出るんですよ。神奈川県で「渋谷」と書かれて「高座渋谷」と勘違いする人がいるんじゃないかみたいな与太話をしてみたりもしましたが、普段使いなのであまり気にしてないけど、国道6号線だって千葉県内で「東京」ではなく「浅草橋」という看板が出ているところがあった記憶がおぼろげにあります。


なぜ道路看板では細かい地名を表示しているのか?


そこで思いついた仮説です。
たとえば246の場合、「東京」という地名を看板に書くとすると、それは新二子橋を指してしまうのではなかろうか?水戸街道の場合は新葛飾橋を指してしまうのではなかろうか?つまりは東京に到達するための関門である「橋」を越えることが「東京に行く」という表現になっているのではなかろうか?
もしかすると橋ではなくトンネルである場合もあるかもしれません。


その仮説を検証するためにどうすればよいかを考えました。
まずは、大きな橋やトンネル無しに東京都内に行き来できる場所。そうですね、たとえば和光市に住む人がどういう表現をするのか調べたいです。
次は、東京多摩地区の人たちに23区に出ることをどう表現するかも調べてみたい。三鷹や調布、西東京市と言った所のみなさまですね。
そして、東京多摩地区に隣接する、たとえば相模原市所沢市の人に東京の山手線エリアのどこかに行くことをどう表現するかも聞いてみたいです。相模原市の人には町田や八王子、所沢市の人には国分寺西東京市にいく場合どう表現するかも合わせて聞いてみたい。相模原市の中でも、旧相模湖町藤野町の人にも聞いてみたい。小仏トンネル大垂水峠という地理的な障壁があるとまた感覚が違うのではないかと推測されます。
最後に、これはピンポイントで、市川市の中でも本八幡にも住む人に聞いてみたい。なぜ本八幡かというと、都営新宿線で橋ではなくトンネルで都県境を越えるからです。なので、普段都心に向かうときに使っている交通機関はなにか?車なのか、JRなのか、京成なのか、地下鉄なのかも合わせて聞いてみたい。


最初に卒論ネタと書きましたが、この調査結果だけでは弱いでしょうね。ただ、自分の経験ではこういう仮説検証をするために調査をすると、調査を始めた時点では思っても見なかった面白いデータが取得できることもあります。取っ掛かりのアイディアとしては面白いんじゃないかなぁ。実際調査してみると有意なデータが取れないこともままあるんですがそれはそれでまた新しい仮説を生み出すモチベーションになるというものです。