『涼宮ハルヒの憂鬱』 その危険な世界観

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)



二十世紀末から二十一世紀の日本において「ライトノベル」というジャンルに分類される小説があるらしいことを知ったのは、つい最近のことである。Wikipediaによると

漫画・アニメ風のイラストを使用した娯楽小説

とのことだが、他のジャンル分け同様おそらくその境界は分類する人の主観にも依存していて曖昧なのであろう。
俺がその言葉から感じる感覚を頼りにすると、軽く読める小説という意味になる。まぁそのまんまだ。
だから、前述のWikipediaに記載されている

自らは絶対に「ライトノベル」と呼ばない出版社、作家などはいまだに多い

という状況は理解できる。自分が書いた物、自分が出版した物を軽く見られるのはあまりいい気持ちはしないんだろうな。


最近俺が読んだ本の中でも、俺の主観ではライトノベルに分類できる本があった。「ダ・ヴィンチ・コード」がそれだ。異論は多数あるであろうことはわかってはいるが、何せ俺がそう思ってしまったのでしょうがない。
俺が持つ、きわめて日本人的と思われる、神道的仏教的いやいや無宗教的といった方がよい宗教観でダ・ヴィンチ・コードを読むと、長さの割に簡単に読める娯楽小説という意味でまさにライトノベルである。漫画・アニメ風のイラストがついているかついていないかなんてことは小説を読む上では別にたいした問題ではないんじゃないかとかえらそーなことを考えているわけである。


おそらく二十世紀終盤で経験した中高生の頃に今で言うライトノベルに分類される小説は読んでいるはずなのだが、例えばダーティーペアシリーズなんて今で言うライトノベルなんじゃねーかなと思うわけであるが、ライトノベルというジャンルに分類できる小説があることを知ってから、どうやらこれがライトノベルというジャンルに分類できる小説らしいと意識して読んだ初めての作品。
それが「涼宮ハルヒの憂鬱」である。






困ったことにこの文章を書く前提として、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品を今まで読んでいなくてかつこの先も読む予定が無い人をターゲットとして、その人にこの作品を読んでみようと言う気にさせるというものすごく高いハードルが設定されている。されているって自分で勝手に設定しているだけだけどね。
となると、どうしても避けて通れないのがあらすじの紹介である。


やむをえない。やるか。




この作品の主人公「キョン」という少年が、高校に進学するところからこの物語は始まる。中学の頃あこがれていた女の子と同じ高校に進学して同じクラスになれるかどうかどきどきするとか、高校デビューを飾ってやるとかそーいう物語の軸となりそうな設定はここでは語られていない。
新しいクラスメイトとともに一つの教室におさまり、出席番号順にあらかじめ決められた席に座ってホームルームが始まる。たぶん俺にもそんなことがあったかもしれない。遠い昔の出来事だなぁ。
ホームルームではまぁおきまりの自己紹介をするわけだ。当然だ。同じ中学出身で仲が良かったとかそういうつながりがなければ周りは知らないやつばっかり。とりあえずは自己紹介だろう。
主人公キョンはつつがなく自己紹介を終えた。しかしその次の少女の自己紹介それが物語を予感させる言葉だった。

「東中学出身、涼宮ハルヒ
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」

どう考えても異常な言葉。異常な上に命令口調。ネタか?と誰もが思う。当然のようにキョンは振り返ってしまうわけだ。するとそこには長い黒髪を持ち、にこりともしていない美少女がいた。


キョンは健康な高校男子であって美少女がいたら興味を持ってしまうのは当然のことだ。しかも席が近くだったらとりあえず声をかけてみようかなと思うのは当たり前のことだ。キョン涼宮ハルヒに話しかけることを試みようとする。
しかし、話題がない。話題といったらあの異常な自己紹介のことくらいだ。だからその話題を振ってみるしかない。あの話は本気なのか?正常な人間ができる突っ込みはそのくらいのレベルであることは想像に難くない。しかし、涼宮ハルヒの返答は、あんたは宇宙人なのか、宇宙人でないなら時間の無駄だから話しかけるな、っていう感じ。こりゃ真性だろう。キョンに対してだけじゃなくて、他の男、女に対しても同じようなつれない対応。どー考えても。やばいよ!やばい!!かかわっちゃいけない!


ぶっとんだ自己紹介以外にもいろいろな奇矯な行動をし、涼宮ハルヒは瞬く間に校内の有名人になってしまう。有名人といっても、みんなにちやほやされるわけではなく、むしろ陰で噂されるという普通の人間だったらあまりうれしくない状況であろう。しかし彼女は普通ではないのでどう思われようと関係ないんだろうけど。


そんなある日、キョンはまたうっかり涼宮ハルヒに話しかけてしまう。彼女の奇矯な行動の一つに、曜日によって髪を結ぶ箇所の数が変わるというのがあった。それをうっかり指摘してしまったのだ。するとどういうことか!会話が成立した。そして、その話をした翌日、涼宮ハルヒは長かった髪をばっさり切って学校にやってきた。自分の言葉が引き金になったのかどうか、その関連はともかくとして男心が微妙に揺らぐできごとである。
それをきっかけにキョン涼宮ハルヒは毎朝短い時間短い会話をするようになった。しかし相変わらず涼宮ハルヒは笑わない少女だった。奇矯な言動がなければ一般的にクールビューティと言われるような少女なんだろうな。奇矯な言動が全てをぶちこわしているわけだが。


キョンのクラスでは、月に一度席替えをすることになり、そんな朝の短い会話もできなくなるはずだった。キョンからしてみると他の誰かにそのやっかいな役割を押しつけることができてラッキーという思いがあったかもしれない。ところが・・・絶対的な位置は変わったが、キョン涼宮ハルヒの相対的な座席位置は変わらなかった。キョンの後ろに涼宮ハルヒ。このポジションがキョンにとっては決定的に不幸な事件が起こる要因になる。


そうして物語は始まった。




あるうららかな日。眠気をこらえながら授業を受けるキョンに災厄が訪れた。後ろから襟首を掴まれ、思い切り引っ張られた。そのまま後頭部は後ろの席の机にぶつかる。全く無防備な状態だったから、想像するだけで痛そうだ。当然キョンは激怒する。どんな温厚な人間でも激怒するだろう。こんなことをされれば。後ろにいるのが誰であろうと。
そう、後ろにいるのは涼宮ハルヒだった。そして、彼女は、笑顔だった。


今までの不機嫌な状態を全てチャラにするような激しい笑顔だったらしい。彼女は何かを思いついたようだ。なんでも、面白そうなことがないから自分で面白い部活を作るらしい。それだけのことで授業中に襟首を掴まれたキョンに幸あれ・・・
これをきっかけにして涼宮ハルヒに迷惑な属性が加わる。自分の都合で人を巻き込むという属性だ。普通の少年が奇矯な美少女の起こすトラブルに巻き込まれる。うーんどっかで何度も読んだことがあるような展開だが「これ」っと指し示すことはできない。ってことは、そういうのを読んだってことがすでに俺の妄想なのかもしれない。
涼宮ハルヒキョンが当然自分の思いついた新しい部活を作るという試みに協力すると思いこみ、協力せざるを得ない状況に追い込んでいった。
美少女ってのは得だ。
つくづくそう思う。


勝手に空きそうな部室を調べ、そこに人がいるにもかかわらずここが部室だと宣言をする。ちなみにそこは文芸部の部室で、もともとそこにいたのは、キョン涼宮ハルヒと同じ一年生の長門有希という常に本を読んでいる少女だった。さらに翌日、涼宮ハルヒは一人の美少女を上級生であるにも関わらず拉致連行してくる。朝比奈みくるという少女である。
文芸部を乗っ取って勝手に作った同好会的な組織であるが、なんらかの名前がないと収まりがつかない。その名前も涼宮ハルヒが勝手につけた。
「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」
略称「SOS団」
終わっている。やはり関わってはいけなかった。


その後パソコンを強奪したり、涼宮ハルヒが望む「謎の転校生」がやってきて強引に入部(入団?)させたりいろいろなことがあったが詳細は今のところ本筋と関係ないので割愛しよう。
問題となるのは一点、実はキョン以外の団員は涼宮ハルヒの望む人物であったということだ。涼宮ハルヒの望む「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者」に分類される人物だったのだ。そしてそのことをキョンには明かしたが涼宮ハルヒには明かしていない。そこがこの話のポイントとなる。
我らが主人公キョンは、その「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者」に巻き込まれ命の危機を経験したりもする。その仮定で涼宮ハルヒという少女がただの少女ではない、まぁどうみてもただの少女ではないわけであるが、そういう意味ではなくただの少女ではないということを知ってしまう。
「ビミョーに非日常」ってキャッチコピーだけど微妙なのか?これ??思いっきり非日常だけどそれを作中人物がふつーに受け止めているってだけだろ。


そして、物語の最後で、主人公キョン涼宮ハルヒによって引き起こされる大きな事件に巻き込まれてしまうわけである。






ふぅー。
ようやく終わった。
俺にとっては苦痛以外の何者でもなかった。苦手なのよ〜。どってことないと思われるだろうけど、書ける人にはそれがわからんのですよ。




さて、ここから先、この小説の根本的な部分のネタバレをしないと書き進めることができない。この小説をまだ読んでいなくて、かつこの先読む予定があり、かつネタバレを好まない人はこの先は読まないで欲しい。テレビアニメを毎週楽しみにしていて最終話を見ていない人も同様である。テレビアニメがラストまで原作に忠実であるかどうかはまだ放映されていない今はわからないが、今までの構成を考えるとおそらく忠実に再現されると思われるので見終えるまでこの先は読まない方が無難である。






































さて、表題の通り俺はこの小説を読んで「危険性」を感じ取ったわけであるが、その危険性は先ほど紹介したあらすじとも小説では初めて見たSQLもどきの文字列が書いてあることにも弓状ではなく弧状だろう思ったらどうやらそういう言い方もあるらしいと思ったことともまるで関係ない話である。危険性を語るにはどうしてもこの小説の基本設定について考えなければならない。


その前にテレビアニメの話をちょいとしてみるか。


大きな声では言えない某サイトでテレビアニメを一通り見てみたわけだ。放映の順番通り。とにかく第一話はわけわからん。そもそも、テレビアニメは「涼宮ハルヒの憂鬱」の範囲内ではなく、その続編も含んだ形で構成されているようなので当然といえば当然なんだが、にしても、ああいう話を第一話に持ってくるってのはいかがなものか。
テレビアニメ第一話は、涼宮ハルヒとその仲間たち要はSOS団が文化祭で上映するために撮った映画である。設定も何もあった物ではない。主人公キョンとヒロイン涼宮ハルヒはこの話ではほとんど登場しない。キョンはナレーションという形では最初から出ているが。
シリーズの最初に虚構内虚構となる作中作を持ってきたわけである。
しかし、それはシリーズ第一話にとどまらない。その後の本編的な話でも、最後のスタッフロールに涼宮ハルヒなりSOS団なりの言葉が出てくる。虚構と現実の線引きを曖昧にしようと言う作り手の意図、遊び心といってもいいかもしれないが、が出ている。キョン涼宮ハルヒが存在する世界は俺たちが暮らしているこの世界なんだという感覚を持つように演出されている。


そのあたりがこれから書く感想を持つに至るきっかけになっているのかもしれない。


この小説では涼宮ハルヒという少女が、考えたことを現実化する能力を持っているという設定が基本となっている。そして、自分の作った世界が自分にとって気に入らない物だったら、そうとは気づかないままにその世界をぶちこわし新しい世界を創造することも可能であるのではないかと周りにいる登場人物たちはおそれを持って想像している。そして物語の終盤では実際今の世界が破壊される危機を迎えている。
この小説でえがかれている世界は涼宮ハルヒという少女の心が作り出した世界である。こういう設定もどこかで読んだことがあるような気もするが、これといって指し示すことができないのでこれも俺の妄想なのかもしれない。
※該当する作品を直後にたまたま読みました。2006/7/7の日記参照のこと。七夕なのもたぶん偶然だし偶然だと思いたい。
とにかく、この作品は一種の虚構内虚構と言える入れ子構造を持っている。その入れ子構造を際だたせるためにテレビアニメでは作中作というわかりやすい虚構内虚構を一発目に持ってきていて、さらにスタッフロールにも工夫をしているんだと思う。




俺は、この「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品が持つ虚構構造は普通の物語とひと味違うと思っている。


表にしてみるとこんな感じになる。

レベル5   作中作
レベル4   この小説でえがかれている世界
レベル3   考えていることを現実にする力を持つ少女、涼宮ハルヒの世界
レベル2   考えていることを現実にする力を持つ少女、涼宮ハルヒを想像した何者かがいる世界
レベル1   作者や俺たちが住む現実世界



レベル5はまぁさっき書いたアニメの第一話のことだ。「涼宮ハルヒの憂鬱」という小説にはまだ出てこない話。レベル2はどこにも出てこない。たぶんシリーズが完結してもでてこない。俺が頭の中で考えたレベル。
俺が重要視しているのは「レベル2」の存在である。でも重要視しているのに根拠は薄弱である。このレベルを考えるとこの小説がわかりやすくなる。逆にこのレベルを考えないと作中世界に取り込まれてしまうという感覚がある。それだけが根拠である。


俺も含めて、この作品でえがかれている世界の矛盾を指摘しようとする人は多い。レベル4の世界は涼宮ハルヒが想像した世界である。にも関わらず、なぜ彼女は不機嫌だったのか。不機嫌ならばぶっ壊されるはずじゃねーか。誰だってそう思う。
まっ、話は変わるけど、涼宮ハルヒが世界をぶっ壊すきっかけになるのは彼女が不機嫌になることではなく、彼女が憂鬱になることっていう設定じゃないかと俺は思っている。憂鬱と不機嫌との線引きなんてまさに主観的な感覚なんだが、この小説の最後に発生するエピソードのきっかけになる事件が憂鬱の引き金になっているんだろう。そういう意味でキョンという主人公は、レベル4にいながらにして、実は涼宮ハルヒのコントロール下に無いという微妙なポジションなのかなと思ったりもする。ハルヒがコントロールできないから逆に特別な人物として認識されているんだろうな。はやりの言葉で言えば、キョンハルヒから見てツンデレなわけなんじゃないの?
他の主要登場人物は、宇宙人がいて欲しいというハルヒの願いによって生み出された宇宙人だったり、未来人(略、超能力者(略、だったりする。


俺が書いたレベル分けはツリー構造になっている。レベル1の現実世界はたぶん一つしかない。俺自身そう思いたい。しかし、それ以降のレベルは複数ある。レベル4の住民、主人公キョンに与えられた能力はハルヒと一緒にハルヒが創造した別のレベル4の世界に行ける能力である。
この小説で面白いのは、レベル4にいる人物たちが自分たちの住む世界がレベル4だということは何となく認識しているが、レベル4にいながら無意識にレベル3を内包していると思われる涼宮ハルヒという少女のご機嫌をとって、今自分たちの存在が涼宮ハルヒによって認められているレベル4の世界を守ろうとしているところにある。


そうそう、レベル2が重要だと書いていて全然その話を書いていないような気がする。
俺の感覚では、レベル3の涼宮ハルヒ、レベル4の作中世界の設定を考えてしまうと、その時点でこの「涼宮ハルヒの憂鬱」という物語に取り込まれてしまうのではないかという危険性を感じている。
特に、この作品の設定を批判的に論じている人にとってははなはだ不本意なことであると思うけど、この作品の設定、それはレベル3レベル4の物語世界の設定と言うことになる、を論じている時点ですでに作者が生み出したこの作品の持つ虚構の世界に取り込まれちまっていることになると思ってるんだ。
他の作品と「涼宮ハルヒの憂鬱」を並べて語るためにはレベル2を考えなければいけない。作中世界の創造主涼宮ハルヒを想像した虚構の人物の存在を考えないとうまくいかない。この小説の作者、谷川流氏の他の著作を読んでいないので想像でしかないんだけど、この作者の場合は、少なくとも涼宮ハルヒシリーズと他の作品シリーズとの間では登場人物の交流がないんじゃないかと思っている。交流しようにも虚構レベルが違ったりするからうまくいかない。
創造主涼宮ハルヒを想像した虚構の人物がいるという書き方をすると、なるほど、レベル2にいるのは、美少女との出会いを妄想する主人公キョン、あるいは現実世界ではちっとも美少女でもなく行動的でもない少女涼宮ハルヒが存在する可能性のことを言っているのかと思われるかもしれない。
でも俺はそうは思って無くてレベル3の涼宮ハルヒという存在がもしこの作中で登場する誰か、キョンとかハルヒの想像、妄想であり、それをレベル2と言うのなら、レベル1.5のレベルで作中に登場しない作者が創造した人物を追加することになってしまうことになる。
つまり作中人物でもなく作者でもない人物の存在、作中でまったくえがかれない何者かの存在を考えないとまずいんじゃねーかと感じている。そう考えないと気づいたら作者の術中にはまり、自分の意識が虚構の世界の中に埋没してしまうという危険性があるんじゃねーかと考えている。


何でそう思うの?と思われる向きもあるだろう。その問いには「そう思うのだからしょうがない」と答えるしかない。


この物語に危険性を感じるというのは読んではいけない読まない方がいいという意味じゃない。虚構に取り込まれるか取り込まれないか、そういうぎりぎりの勝負を楽しめるようないい作品だという意味だ。
危なくないことってつまらないでしょう?


読んだことが無くて、読む気にもなれない人もとりあえず読んでみるといいと思う。この作品は危険だ。作中の表現やら設定やらにたとえ嫌悪感を抱いてもその時点で虚構に取り込まれてしまっていることになる。




結論を書こう。
涼宮ハルヒが憂鬱なのは、ハルヒ自身が憂鬱でいたいと願っているわけじゃなくてレベル2の何者かが涼宮ハルヒが憂鬱であって欲しいと願っていると作者が考えたからだ。

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